建築的身体の解体、変質作用 江澤健一郎

 このように『ドキュマン』は、総合的構成に抗い、断片的な構成に訴えるが、これは単に雑誌編集における構成法の問題であるばかりでなく、この雑誌が取り上げる造形芸術の問題と反響しあっていると考えなければならない。『ドキュマン』においてもっとも大きな位置を占めた画家の一人は、パブロ・ピカソ だが、彼のキュビスム、たとえば「分析的キュビスム」は、割れた鏡のような形象を生み出していた。伝統的絵画が、人物や静物といったモチーフを、一つの視点から見た形象として建築的に表象しようとしたのに対して、分析的キュビスムは、モチーフを多視点から見た断片的視覚像へと分解して再構成することによって、それぞれの断片を断片として保持するような非建築的な構成を実現した。そのような同時代の造形芸術の課題に対応するように、『ドキュマン』におけるバタイユの美学もまた、建築的構成に対する激しい批判を伴っている。そしてその批判において、建築的なものは身体的なメタファーをまとって現れる。
 『ドキュマン』1929年第2号掲載「サン=スヴェールの黙示録」において、バタイユは、勤務先であるフランス国立図書館が所蔵する中世の挿絵入り写本「サン=スヴェールの黙示録」について論じながら、その挿絵に見られる非建築的構図を讃えている。そして彼は、同号巻末の「批評的辞典」のコーナーに、まさに「建築」という記事を寄せている。その中でバタイユは、〈建築的構成〉は、〈理想的存在〉を体現し、権威を押しつけ、支配と隷従を強いるものであるとして、激しく批判している。そして人間の十全な身体像とは、一つの建築にほかならない。
 

さらに、石の数学的な配置が、地上的な形態進化における完成にほかならないことは明らかである。 その進化の方向性は、生物学的な次元では、猿の形態から人間の形態への移行によって示されており、人間の形態はすでに建築のあらゆる要素を示している。見たところ、形態論的な過程においては、人間は猿と大建造物との間の段階を表しているにすぎない。

 

 
 人間の姿は、ここでは建築の一種として論じられている。たしかに人間の身体は樹木のように屹立し、上下左右の位階を備え、一種の建築物のように組織されている。身体は有機的な全体を形成しており、四肢や器官という部分は、全体に奉仕するように機能的に構成されている。ひとは、そのような身体を自己の行動の中心として、自我の世界を形成する。身体を有用な道具として用い、それを統合的な全体として統御し、対象との関係を結び、身体を自己の同一性の中心としながら、自己の世界を全体化し、拡大し、建築していく。行動と機能によって有機的に構成されるこのような世界は、建築的であるといえる。そして十全な身体は、その中心に位置する建築物となる。そのような建築性を体現するように、ヨーロッパにおけるギリシア以後の造形芸術に現れる身体像は、おおむね均整のとれた骨組みによって構築され、〈石の数学的配置〉へ向かう傾向を顕著に示している。そして、〈数学的〉な構成が洗練され、より、〈静的〉な完成へと向かうならば、それは抽象画が示すような幾何学的形態にもなるだろう。バタイユは、「建築」においてのみならず、「不定形」や、「唯物論」(1929年第3号)においても、そのような数学性や抽象性を断固として批判している。しかしこれは、彼一人に特有な傾向ではなく、同じく『ドキュマン』に参加していたカール・アインシュタインの美術論にもみられる傾向である。たとえばアインシュタインは、 『ドキュマン』1929年第6号掲載「チューリッヒにおける抽象芸術展」において、マレーヴィッチら のシュプレマティスムを取り上げ、美術における純粋抽象を批判している。そして身体の建築性は、そのような等質な数学性へと向かう。
 『ドキュマン』が解体しているのは、まさにこの「建築物」としての身体である。身体の断片を写した図版写真は、フレーミングによって具体的に、つまりイメージにおいて身体を切断し、編集によるその断片の組み合わせは、けっして十全な身体を構成することなく、分断された身体の非合理的総合を実現してい た。そしてバタイユは、テクスト「建築」において、半世紀来の現代絵画の特徴、おそらくマネ以後の特徴として、まさに建築的骨組の消滅を挙げ、同時代の画家たちが表現した〈動物じみた怪物性〉を支持している。これこそが〈建築の虜囚〉となることから逃れる道であるから。ここでバタイユは具体的な名前を挙げてはいないが、おそらくピカソの絵画における変形した身体や、19世紀当時「ゴリラのように醜い」と評されたマネの「オランピア」を念頭においていたと考えて間違いない。そして『ドキュマン』において、この建築的身体の解体を体現していたのが、おそらくファン・ゴッホの症候的な身体である。バタイユはファン・ゴッホの切られた耳に惹かれ、『ドキュマン』1930年最終号に「供犠的毀損とフィンセント・ファン・ゴッホの切られた耳」を寄稿しているが、この画家は、まさに自分の身体部位を切除することによって、身体のシンメトリーな構造を毀損した。
 
 そのような行動 [人間の徹底的な変質]は、それが異質な諸要素を解き放ち、ひとりの人間が備える習慣的な同質性を断ち切る力をもっていることを特徴とするだろう。それは嘔吐と同じように、その反対物に、普通の食物摂取に対立するだろう(4)。
 
 このような異質な身体は、『ドキュマン』に限らずバタイユのテクストに現れる。たとえば「松毬の眼」 は頭頂部を押し開き、燃えさかる太陽を直視する。あるいはファシズムという単頭的な全体主義的共同体に対してバタイユが対置した共同体は、頭部を持たない「無頭人」という形象を掲げていた(5)。そしてこのような身体変形は、バタイユの単なる個人的強迫観念ではない。たとえばその痕跡は、先史時代の洞窟壁画にも見られる。先史時代の洞窟壁画において、動物の図像は概して写実的な正確さを備えているのに対して、人間の図像は半ば動物化されるか極端な抽象的変形を被っている。つまり身体変形は、造形上の表現において本質的な契機をなしているのである。バタイユは、『ドキュマン』1930年第7号掲載「プリミティヴ・アート」において、子供による落書きと同様に、先史時代の洞窟壁画における人体像の変形を問題としている。そしてそのような形象破壊に〈変質(alteration)〉という概念を与えている。この概念は二重の意味で使われる。
 
 変質という用語には二重の利点がある。それは死骸の腐爛に類する部分的分解を表すが、それと同時に、完全に異質な状態への移行を表しもする。その異質な状態とは、プロテスタントのオットー教授がまったく異なるものと呼んでいるもの、つまり聖なるものであり、たとえば亡霊のうちに現れているものである(6)。
 
〈変質〉はまず、〈腐爛〉が現すような連続的な形態毀損であり、つぎに、聖なるものについて語られるような、全く異なるもの〉〈異質な状態〉への移行を示している。「移行」と仮に言ったが、それはある形象から別の形象への移行ではない。つまり、ここで〈腐爛〉が例となっているように、腐爛の事後に得られる骸骨のような形象が問題なのではなく、腐爛という形象解体そのもの、変質の過程そのものが見えるようになることが問題なのである。そしてその変質という「移行それ自体」が、世俗的事物ならぬ〈聖なるもの〉として現れる。つまりここで重視されているのは、「描かれたもの」としての図像そのものよりも、むしろ「描く行為」である。たとえば、バタイユがこだわって論じる供犠という宗教的操作は、そのような行為である。この操作の目的は、けっして対象(とりわけ神聖な対象)の殺害そのものではなく、 事物としての生贄を変質させ、その変質作用そのものを顕在化させることにある。そしてここで問題となっているプリミティヴ・アートの場合においても、人間の形象の変質そのものが重要なのであり、その変質作用の事後の残骸(破壊的な図像)を表象することが問題なのではない。時間のなかで進行する変質作用、その変形の「力」を見えるようにすること。力というものは決して事物ではなく、それ自体としては形をまとって現れることはない。通常われわれの眼が見て認識するのは、「力によって壊された物」のような力の効果、結果である。力そのものはわれわれから逃れる。「変質」が見えるようにするのは、このような表象不可能な力そのもの、そして力が生起する場である時間ではないだろうか。ここには「見えないものを見えるようにする」という命題がある(7)。そしてここで問題となる具象的形象の変形は、無形態へ 向かうのでも、抽象的形象へ向かうのでも、あるいは再び具象的形象へ帰着するのでもない。変質というとらえどころのない間(あわい)を挟りだすことこそが問題であり、その現れこそが「不定形」と呼ばれる現実なのだ。
 『ドキュマン』が取り上げた同時代の造形表現は、非建築的な〈動物じみた怪物性〉は、このような力、変質の運動を顕在化させる。そしてこの雑誌におけるイメージ操作、図版のモンタージュは、静止した写真に不定形化の過程をもたらし、変質作用を生起させていた。それらの図版は、割れた鏡のようであるが、 飛散したその破片は相互に反響しあい差異を保持したまま組み合わさり、変質の運動を伝動する。そして割れた鏡を前にするわれわれは、その破片に身を映し、自ら分断された身体となり、異質な身体へと変質する。そのとき変質は、われわれの現実、われわれの内的体験と化す。
 
 
 あえて一般化するならば、19世紀までの公認の造形芸術は、理想的な美の領域を形成し、世俗的な人間世界にとって形相的な次元を占めていた。そこで神的な人間の形象は、形相性の典型であり、イメージ の領域は、そのような理想的な形象によって占められていた。しかし20世紀の雑誌である『ドキュマン』において、人間の形象は、散り散りに分断され、不定形へと変質した。つまり『ドキュマン』は、形相的なイメージの領域に、非形相的なものを、つまり「物質的なもの」、不定形の現実を導入した。そしてこのような操作は、同時代の造形芸術の問題と連動している。ここまでわれわれは、特に写真の問題に重点を置いて論じてきたが、ここでさらに深く造形芸術の問題に踏み込んでいかなければならない。芸術において、この不定形の次元はいかにして現れるのだろうか。