講義 「地域をどう捉えるか」 小田亮


1.真正な社会としての「地域」

 文化人類学の研究の基本的な対象は「地域」での生活です。そして、その「地域」からはるか人類全体の文化というものを見ていこうというのが文化人類学という学問です。それは、小島先生がやられている民俗学の対象も同じだと思います。とはいっても、「地域」という語は、さまざまな範囲を指す語ですが、ここでいう「地域」とは、ローカルな小さな共同体を指しています。
 「地域」という語は、英語で言えば、エリア(area)やリージョン(region)という意味でも使われます。地域研究(エリア・スタディーズ)というときは、その地域は、東アジアとか東南アジア、中東、南アメリカ、アフリカといった広大な地域を指しています。また、リージョンという語も、リージョナリズムというときは、「地方」といったほうがいいのでしょうが、東北地方とか関西地方といった範囲を指すことが多いといえるでしょう。それに比べて、ここでいう「地域」、ローカルな共同体というのは、はるかに小さな範囲で、基本的にはせいぜい数百人ていどの地域共同体、言い換えれば、村や集落です。もちろん、ローカルという語も何と対比されるかによってその範囲は相対的に決まるので、グローバルと対比されると、国民国家のような大規模な範囲もローカルと呼ばれることがあのますが、ここでいうローカルな共同体としての地域はもっと小さな範囲を指します。この小さなローカルな共同体では、社会は、人と人との具体的な関係、役割関係には還元できない〈顔〉のみえる関係からなりたっています。もちろん、小さなローカルな共同体にも役割はあります。しかし、〈顔〉のある関係(ここでいう〈顔〉というのは、個人の「かけがえのなさ」を示すためのものです)は、つねに役割関係を超えた過剰さをもっています。
 このローカルな小さな共同体は、人類学者のレヴィ=ストロースが「真正の社会の様式」と呼んでいるものに相当します。それについては、去年のこの総合講座での「フィールドワーク」のときにも話しましたが、レヴィ=ストロースは、つぎのように言っています。

 将来おそらく、人類学から社会科学へのもっとも重要な貢献は、社会的実存の二つの様相の、根本的な区分を導きいれた(意識しないで、ではあるが)ことにあると判断されるだろう。つまり、一方は、原初において、伝統的でアルカイックなものとして認められた生活様式であり、それは何よりもまず、真正の社会の様式である。他方は、より後になってあらわれたもので、第一の型もたしかにそこに不在なのではないが、不完全にまたは不十分に真正な諸集団が、いっそう広大な、それ自体まがいものの刻印を打たれている体系のもとに、組織されているのである。[レヴィ=ストロース 1972:409]

 レヴィ=ストロースのいう「真正性の水準」の区別は、人と人との〈顔〉のみえる関係からなる小規模な集まりである「真正な(オーセンティックな、「まっとうな」が適訳でしょう)社会」の様相と、近代社会になって出現したメディア(この場合のメディアとは印刷物や放送などのマスメディアを指すだけではなく、人と人とのむすびつきを媒介する諸制度、たとえば市場や貨幣経済とか行政や代議士制度などの媒体を含みます)によってはじめて出現した大規模な「非真正な社会」の様相との区別のことを指しています。この「真正な社会(まっとうな社会)」と「非真正な社会(まっとうでない社会)」という様相の区別は、非常に単純なことのようにみえます。500人の村と、何十万人という規模の都市や何千万人という国家のレベルとでは社会のあり方が違うと言っているだけですから。そして、前者を「まっとうな社会」、本物の社会と呼び、後者を「まっとうでない社会」、「まがいものの社会」と呼んで区別することは、構築主義の立場にたつポストモダン人類学によって批判されるたぐいの区別です。けれども、この一見すると単純な区別は、レヴィ=ストロースのいうように、たしかに根本的で重要な区別です。長い人類史のあいだ、人類は、この「真正な社会」、すなわちここでいう小さなローカルな地域共同体のなかで、文化というものを創りあげてきたのでした。
 この「まっとうな社会」としての小さなローカルな地域共同体の重要性は、その後にメディアに媒介されて出現した国民国家などの大規模な「非真正な社会」に包摂されてからも変わりません。そして、不完全な形ながらも、小さなローカルな地域での思考も消えては行きません。哲学者の内山節さんは、東京の大学に勤めながら、半分以上は群馬県の山村に住んでいるのですが、その村での「公共」(public)というものの捉えかたを、『「里」という思想』という本のなかで、つぎのように言っています。

 東京で「公共」といえば、国や自治体が担うもの、つまり行政が担当すべきものを指していた。それに対して私たちは「私」であり、「私人」であった。だが村人たちが使う「公共」は、それとは違う。「公共」とは、村では、みんなの世界のことであり、「公共の仕事」とは、「みんなでする仕事」のことであった。だから、春になって、冬の間に荒れた道をみんなでなおすことは「公共の仕事」であり、山火事の報を受けて家から消化に飛び出すことも、祭りの準備をすることも「公共の仕事」であった。「公共」と行政とは、村では必ずしも一致していないのである。村人の感覚では、行政の前に「公共」があり、行政は「公共」のある部分を代行することはあっても、それはあくまでも代行であって、行政イコール「公共」ではなかった。そして、村人が感じている「公共」の世界とは、それほど広いものではなかった。それは自分たちが直接かかわることのできる世界であり、自分たちが行動することによって責任を負える世界のことであった。つまり、自分との関係がわかる広さともいってもよいし、それは、おおよそ「村」という広さであるといってもよい。つまり、村人にとっては、社会は、それぞれの地域で展開している「公共」の世界の連合体のようなものとして、とらえられていた。そして私には、その方が、社会の自然なとらえ方のように思われた。[内山 2005:49-50]

 このことばは、人と人との結びつきが行政というメディアに媒介されてはいない「真正な社会」での社会や公共のとらえ方をうまく説明しているように思います。
 そして、そのような山村ではなくても、つまり人と人とのつながりが行政などのメディアに媒介されていて、社会というものを〈顔〉のある関係の延長上に想像できなくなっている東京のような「まっとうでない社会」であっても、真正な社会、まっとうな社会の水準は存在します。自分たちで創ったのではない、他者が作ったモノや制度を消費=利用するしかない「まっとうでない社会」においても、そのモノを消費し、それをさまざまな程度の改変を加えて自分のものとする場は、具体的な身体をもつ人びとが他の人と〈顔〉の見える関係によって作りあげている小さな共同体という場、つまり小さなローカルな場としての「地域」だからです。


2.帝国主義的ノスタルジーの対象としての「地域」

 しかし、文化人類学の研究の基本的対象が「地域」での生活文化だと言っても、地域の生活文化は、近代以降、一つには、ナショナル化(国民化)によって、もう一つはグローバル化によって、均質化されたり、周縁化され、抑圧されたりしてきました。それは、「地域語」を取り上げても分かりやすいでしょう。地域語としての方言は、近代になって国民国家ができて、国家語(national language)――日本語やフランス語――が創られると、周縁化され、駆逐されもしてきました。フランス南部にオクシタンと呼ばれる地域があり、そこではオック語という言語が話されているとされています。けれども、L・ミシェルという社会言語学者の研究によれば、その地域のオック語は数十キロごとに異なる下位方言に分化しており、その多様さはオクシタンを一つの言語体系とするのが困難なほどだと言います。しかし、標準語というものが作られていない言語は、オック語に限らず、そのようにすこしづつ異なる言語が鎖のように連なっているのが普通でしょう。それが地域語のあり方なのです。しかし、フランスという国民国家が創られて、フランス語という国家語ができると、それらの地域語はまず子どもたちを教える学校から追放され(方言札)、その地域での新聞や雑誌、放送からも排除されていきます。そして、新しく創られたフランス語は、他の国家語、イタリア語やスペイン語ポルトガル語やドイツ語やオランダ語などとは異なる言語とされています(スペイン語ポルトガル語、ドイツ語とオランダ語といった例を出したのは、それぞれ二つの言語は互いに通じ合うからで、津軽方言と鹿児島方言ほどは異なっていないからです)。しかし、それが異なる言語として数えられているのは、それぞれが異なる国民国家の「国語」(ネイションの標準語)として作られたからです。社会言語学者の土田滋さんが指摘しているように、社会言語学的には、たとえばドイツの各地域で話されていた言語とオランダの各地域で話されていた言語は、近代になって国民国家が創られたのにともなって新しく発明された国家語としてのドイツ語やオランダ語を別にすれば、オック語と同じように、どこからドイツ語でどこからオランダ語かなど言えないような「地域語の連続体」をなしているのです。
 逆に、鹿児島弁や大阪弁などの地域語が同じ日本語の中の方言とされるのは、その地域がたまたま同じ国民国家に含まれ、そこに日本語というネイションの標準語が作られたからです。そこでも、ドイツからオランダにかけてと同じように地域語の連続体は濃淡の変化のように少しずつ異なりながら差異の連鎖をなしています。標準語が国語として作られなければ、そこには「地域語の連続体」があるだけで、どこにも「日本語」という実体などないというわけです。
 言語以外の他の文化についても、同じようなことがいえます。伝統的な社会の文化や慣習も、「地域語の連続体」をなしている言語のように、近隣の地域との差異の連続体をなしていました。けれども、国民国家ができて国民文化としての伝統(national tradition)が「発明」されると、それまで国民国家内の各地域で営まれてきた多様な慣習(custom)は、たとえば日本の伝統から外れたものとして周縁化され、均質化されてきました。ここでも、地域語の連続体が「国家語」によって互いに分離されるように、習俗の差異の連鎖が内部は均質で外とは明確に分離された分節へ変えられ、ネイションの伝統として「創出=捏造」されていくことが見られます。イギリスの歴史家のエリック・ホブズボウムとテレンス・レンジャーたちは『伝統の発明』という論集(日本語訳は『創られた伝統』)のなかで、それを「伝統の発明」と呼んだのでした。つまり、近代は「地域」の生きた伝統としての慣習を破壊し、その上に均質な「発明された伝統」を構築したのです。
 もう一方のグローバル化による「地域文化」の均質化も、服装や道具などの物質文化に顕著に見られます(物質文化が見えやすいということでもありますが)。いまや、世界中の地域でも、その地域で育まれた服装や道具は日常生活の中から消えて、たとえば服装で言えば、西洋化された服装、スーツやジーンズやTシャツや靴を身に着けています。生活用品や道具も自分たちで作ることはもはやなく、機械化された工場で大量に作られた規格化された同じ道具を世界中で使っています。
 そういう意味では、ローカルな小さな共同体としての地域の文化は、国民化とグローバル化という二つの強力な動きによって周縁化され消滅しつつあると言ってもいいでしょう。地域独特の生活用具や服装は博物館や民具館などに行かなければ見ることができなくなっているわけです。かつての文化人類学者は(そしておそらく民俗学者も)、消滅しつつある地域文化を眼前にして、それを救いあげて記録し保存するという作業が急務だと考え、なるべく国民化やグローバル化に「汚染」されない伝統文化を調査して記録しようとしました。たとえば、Tシャツにジーンズなんて服装文化には目もくれず、TVでアメリカ映画を見ている生活にも目をつぶり、そんな生活があたかもなく、伝統文化を維持しているように記述したのです。しかし、そのようなやり方は現在では「サルベージ人類学」や「消滅の語り」(ジェームズ・クリフォードのことば)だと批判されています。そのような批判は正当なものです。しかし、それは小さな共同体としての地域を対象にしなくなるということを意味しません。Tシャツやジーンズやアメリカ映画を、その地域の人々がどのように受容し、そこに独自の意味づけをしているかということを、やはり小さな共同体としての地域のなかで調査して考えることで、人類文化を捉える、つまり、あくまで「地域」から人類文化の全体の意味や多様性や変化や共通性を考えるという方向に行かなくてはならないということを意味しているのです。
 さて、「地域の文化」が消滅しつつある一方で、「地域おこし・地域の活性化」や「地域文化の復興、地方の復権」といったことも盛んに唱えられています。町並み保存などもされ、観光化もされています。つまり、近代が周縁化し破壊してきたものを、人々はノスタルジックに称え、保存したり復興したりしようとしているわけです。つまり、自分たちが破壊してきたもの、失ってきたものをかろうじて保持しているようにみえるものに対してノスタルジックな「あこがれ」や「なつかしさ」や「癒し」を感じているのです。そのようなノスタルジーを、文化人類学者のレナート・ロサルドは「帝国主義的ノスタルジー」と呼んで批判しています。
 また、「近代文明」の行き過ぎや欠陥を批判するのに、近代が創りあげた「近代/伝統」「進歩/停滞」「市民社会/共同体」「精神/身体」という二元論を維持したまま、これまでマイナスのものとして排除し抑圧し周縁化してきた「伝統」や「停滞」や「共同体」や「身体」を持ち上げ、それを拠点として近代文明を批判するということも、「帝国主義的ノスタルジー」の一種でしょう。そのような近代の二元論を、サイードにならって「オリエンタリズム的」二元論と呼びたいと思いますが、その二元論は、われわれ(西洋近代の理性的主体)のほうに、近代的諸原理、すなわち理性とか普遍的な知とか自律性とか進歩とか合理的精神を配置して、その「われわれ」にとっての「他者」である非西洋人や下層階級や女性や原住民など、周縁化された人びとに、自分たちのなかに認めると理性的主体という自分たちのアイデンティティが脅かされるような要素を、その「他者」に投影するというやり方で創られます。そのように創られた二元論によって意味づけられた「伝統」や「共同体」や「身体」のほうに逆に価値を置いて、西洋近代を批判しても、けっきょくは近代によって創られた二元論から逃れていないわけです。
 最近の斎藤孝さんなんかが火をつけた「身体」論の流行などは、その典型でしょう。しかし、そのような議論が依拠しているのは、それを抑圧してきた近代のイデオロギーであり、それに基づく二元論であるという点で、やはり自分たちが批判しようとしている近代の枠組みのなかにあります。たとえば、近代が「精神」と「身体」をはっきり分けて二元論的に対比させて意味づけられた「身体」は、それ以前の「身体」のあり方とは違ったものになっているのに、それらの議論は、近代が抑圧することで創られた「身体」の意味やイメージに依拠しているというわけです。
 「地域」の復興や復権もそれと似ているところがあります。つまり、帝国主義的ノスタルジーによって、「国民国家の伝統文化」の原型(古い伝統の残存)とされる「地域文化」は、「国民国家の伝統文化」と同じように非真正の水準にあり、固定されているものになってしまうのです。
 そのような古い伝統へのノスタルジーとは違った、注目すべき地域の運動のひとつに、「地産地消」とか「地域通貨」の運動があります。たとえば、「地産地消」というのは、生産と消費が〈顔〉のある関係においてなされることを目指しているという側面があります。おばあさんが畑で作った野菜をその地域の学校の給食で消費する。おばあさんの孫がそれを食べる。あるいは、知り合いの人の孫や子ども(その子たちの顔を直接知らなくても、それも〈顔〉のみえる関係の延長上の関係であり、やはり〈顔〉のある関係です)がそれを食べるということになると、いい野菜をつくろう、農薬はあまり使わないようにしよう、となります。そこにはは、作物の安全性を高めるという実際的な効果だけではなく、作る喜びと食べる喜びがあるでしょう。それは、生産と消費が真正な社会で行なわれているからであり、野菜を作るという行為が、野菜の生産者という役割の関係を超えた過剰さがあるからです。 
 けれども、実際の「地産地消」は、地方自治体などの行政によって媒介されています。そして、たとえば県レベルで行なわれ、実際には〈顔〉のある関係やその延長上の関係とは別のレベルで、つまり市場や貨幣のみに媒介されて行なわれることも多いわけです。そのような行政というメディアの媒介する「地域」は、もはや真正な社会ではなく、非真正の水準になっています。つまり、そこでは「公共」ということが、内山さんが群馬県の山村で見出したような、人と人との顔のある関係とその延長上で自分たちが関われる範囲のことを自分たちみんなでやるというものではなくなって、行政が担うものとされています。それは、公共という人と人とのつながりも行政組織というメディアに媒体された「非真正なもの」となっていて、「地域」も県や市町村という行政単位によって固定されたもの、明確に境界のあるものとなってしまっています。


3.リゾームとしての「地域」

 では、固定化された形ではない「地域」というものをどう捉えればいいのかということが問題になります。ところで、ホブズボウムは、『伝統の発明』の序論において、近代のナショナリズムと結びついた「発明された伝統」と、いわゆる「伝統」社会における慣習(custom)を区別し、「本物の伝統 genuine tradition」あるいは「生きた伝統」としての慣習のもつ強靭さや融通性を「伝統の発明」と混同してはならないと述べています。ホブズボウムは、慣習の役割は、望まれる変化や逆に革新に対する抵抗に対し、先例との連続性という表現を与える表明を与えることにあるといいます。そして、そのような例として、農民たちが「慣習」によってある共有地が村のものだと主張する場合、その多くは歴史的事実というより、王侯貴族や他の村に対する絶え間ない闘争におけるバランスとして表明されているという例や、英国の労働者が労働運動において昔からの「商慣習」であるとして労働者の権利を守ろうとする場合、それは実際には昔からの伝統ではなく、最近になって労働者が実践のなかで定着させ、拡張したものであるという例を挙げています。このように、生きた伝統、本物の伝統としての「慣習」は、融通性・柔軟性を特徴としています。その融通性は、「差異の連続体」のもつ融通性と言っていいでしょう。つまり、ホブズボウムのいう「慣習」(本物の伝統)は生活のために融通の利く「差異の連続体」としてあります。
 そのような慣習が柔軟で融通性のあるものとなっているのは、レヴィ=ストロースのいう「真正な社会」としての地域、すなわちローカルな小さな共同体に根ざしてそれに支えられたものだからです。伝統が固定されていくのは、レヴィ=ストロースのいう「非真正な社会」としての国民国家において、ネイションの伝統という形で発明された後のことです。それは、「差異の連続体」を排除し、「すべてに共通する何か」を想定して、明確に境界付けられた均質で空虚な全体として創りだされたものです。それは人類の文化的営みの基盤となってきた「地域」を周縁化することによって成立し、「地域」という、重なり合い交叉し合いながら伸び縮みする関係の場を分断し、固定化するものなのです。そして、同じ枠組みで創られた「地域の復興」というときの「地域」は、もはやそういった融通性や柔軟性を失って固定化されたものです。
 地域からものごとを見ることが重要だというとき、その「地域」を固定化されたもの、非真正な社会の水準で創られたまがいものの「地域」に囚われないことが重要になります。それに囚われないために、ここで、生きた真正な社会としての「地域」を「リゾーム」として捉えたいと思います。リゾームとは、フランスの現代思想家のドゥルーズガタリの用語で、根茎、つまりハスや竹などの植物の地下茎を意味します。ドゥルーズガタリは、リゾーム(根茎)をツリー(樹木)や根と対比させています。樹木(ツリー)は、一つのものから分岐していくのに対して、リゾーム=根茎は、幹のような特権的な中心をもたず、他のものと接合していくし、任意の点で切断することもできるものとしています。ドゥルーズガタリは、リゾームを樹木(ツリー)とはまったく異なる「もうひとつの秩序」のありかたを表すために用いているのです。
 そして、ドゥルーズガタリ[1994]は、ツリーの思考によって作られた空間を「条里空間」(区画化された空間)、リゾームによって作られた空間を「平滑空間」(なめらかな空間)と呼んでいます。そして、その二つの対比を、国家のような支配するための秩序である条里空間では、閉鎖空間を区分してそこに直線的かつ固体的事物を配分するのに対して、平滑空間は流体としての事物が開放空間のなかに配分されるという違いがあるとしています。ドゥルーズガタリは、平滑空間について、つぎのように述べます。

 平滑空間の等質性は無限に接近する点同士の間にしか存在しないのであり、近傍同士の接合は特定の道筋とは無関係に行なわれる。それはユークリッド的条里空間のように視覚的な空間であるよりも、むしろ触覚的な、つまり手による接触の空間、微細な接触行為の空間なのだ。平滑空間は運河も水路ももたない一つの場、非等質な空間であって、非常に特殊な型の多様体、すなわち非計量的で中心をもたないリゾーム多様体、空間を「数える」ことなく空間を占める多様体、それを「探険する」には「その上を進んでいく以外にはない」ような多様体に一致するのである。この型の多様体は外部の一点から観察されうるという視覚的条件を満たしていない。[ドゥルーズガタリ 1994:427]

 ドゥルーズガタリは、条里空間ではある一点から他の一点への道筋が計量されうるとされているが、平滑空間にはそのような点と点を結ぶ道筋を測定することのできる外部の一点(超越的な高みの足場)はないというわけです。そして、条里空間では、人と人との関係性はツリー状のモデルにしたがう組織となるのに対して、平滑空間においてはリゾーム的な多様体であるといっています。
 このような、「主体」と「全体性」を拒絶する1970〜80年代の「ポストモダン理論」は、人びとのあいだの連帯や政治的なアイデンティティを否定し、マイノリティの社会運動などを阻害するものとして批判されています。けれども、ここで述べられているようなツリー構造に規定された「包括的全体性」やそれによる「同一性=アイデンティティ」を拒絶しても、人びとのあいだの連帯や共同性を否定することにはかならずしもつながりません。それが否定されているように思ってしまうのは、人との連帯や共同性には「同一であること」「同じであること」、つまり同一的なアイデンティティが必要だということを前提としていますが、それこそツリー状の全体から考えている思考なのです。そのような全体から固定されたアイデンティティなどなくても、そこには別の形式の関係性やつながりが生成されています。それがどこからもつながることができ、かつどこででも切断することも出来るリゾーム的な多様体です。
 ここで重要なことは、平滑空間は、それに対応する関係性の形式、すなわち明確な境界線で区切られることなく、地下茎のように延びていくリゾーム的な多様体としての「共同体」において生成され、実践されるということです。いいかえれば、日常的なもののやりかたにみられる実践知は、人と人との〈顔〉のみえる関係とその延長によって作られている「地域の共同体」にささえられているのである。それは、ツリー状構造をモデルとする思考によってはとらえることはできません。
 このような多様体としての地域の共同体、リゾームとしての地域は、何か共通の属性や同一性によって作られているのではなく、一定の期間一緒にいるという隣接性によってつくられるものです。そこでは、〈顔〉のある関係性のもつさまざまに異なる局面――この局面は役割関係には還元されない――が交叉しあってつくられ保持されている錯綜体としての関係性をさまざまな方向に延長してつくられるため、ツリー構造のような明確な境界や全体-部分の包摂関係をもちません。そして、大事なことは、そのようなリゾーム的なつながり、アイデンティティに拠らない非同一的な連結は、なにも特別なものではなく、また新しいものでも、これから未来に向けて創らなければならないものでもなく、人類の基本的な生活単位であったローカルな小さな共同体でのつながりはつねにそのようなものだったということなのです。