今日のモダニティ 2010年代のデザインと社会 古賀徹

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 近代という言葉は多義的であり、時代の中でその意味を様々に変えて今日に至っている。2010年を迎えた今日、人々はどのような近代を生きてきたのか、それはどのように変容してきたのか、おもに日本の戦後を舞台として論ずることが本論の目的である。
 戦後日本は、欧米の近代性の変転をいわば圧縮したようなかたちで再現してきた、そしてそれは戦前における日本の近代性をある程度は再演するものでもあった。しかし80年代以降は独自の展開を遂げて今日の特徴的な時代を形成するに至っている。
 はじめに本論は、近代性の原理を「あらわれの複数性」として定義する。その後、その原理がまずもって戦後民主主義として展開し、次いで高度経済成長の近代化において近代的支配に転化し、それに対する批判がモダニズムというかたちで遂行されたことを順次明らかにしてゆく。 80年代以降の消費社会の本格化に伴ってモダニズムが失墜し、90年代以降のロスト・ジェネレーションの時代を迎えて、近代性の原理とモダンデザインの理念はどのような姿を取るに至ったか。
 なお本論は、2009年9月24日に九州人学芸術工学図書館で開催された、同館主催の講演会「2010年代のモダニティとデザイン」の発表原稿に加筆修正したものである。


1、近代性の原理

 そもそも近代とは何か。近代性の原理を定義するにあたって、ハンナ・アレントがいう、「あらわれの複数性」の概念に本論は依拠する。アレントは、『人間の条件』(原著1958年、和訳1973年)において、他者に見られたり聞かれたりすること、つまり他者にあらわれることを前提とする自己の行動や言動を「行為」と定義した。
 アレントは本書において、「行為」にともなう「あらわれ」の次元を人間に固有の、動物から区別されるあり方として規定している。しかし同時に、アメリカ革命に関する談論に典型的に見られるように、その次元が顕在化する時代として近代を解釈してもいる。そこで本論は、こうしたアレントのあらわれの概念を、本論の固有の文脈において、近代を定義する概念として新たに利刑しようと意図するのである。
 他者にあらわれる自己の姿は、自分はこういうつもりで行為したのだ、と自己が自分で想定しているあり方とは異なってしまう。つまり自己は行為するときに、自己に予測できない複数の自己を他者の眼や耳を通じて生み出すことになる。つまり行為のあらわれの次元においては私が抱く自己イメージと他者が私について抱くイメージが分裂する。この事態をアレントは、「あらわれの複数性」と呼んでいる。
 アレントはこうした自己分裂の事態を肯定的にとらえる。つまり私は何かを表現する、著す、行為することによって、いわば私の意味根拠を他者の手に譲り渡す。そして他者が抱く私のイメージは、他者の応答を通じて私に跳ね返ってくる。そのとき自己は、自己の行為の意味を他者の目を通じて問い直されることになるだろう。それは最初の自己イメージに変容をもたらし、私はその自己イメージから解放されることになる。
 アレントは、他者へあらわれることを通じて、自己が既存の自己規定から解放されゆくあり方を、自己のアイデンティティ(自己同一性)と定義した。私は、たとえば会社員であるとか主婦であるといった既成の自己規定に留まらない多様なありかたをしている。つまり私はその自己規定とは異なる存在である。とすればこの「異なる存在」こそが、私か私であるゆえんを示すものということになろう。この異なる「ありかた」は、他者との関係の中で、他者が自己をどう捉えるかによって無限に分散していく。私か私であるゆえん、つまり自己が自己である根拠とは、このような無限の分散に開かれているまさにその「ありかた」にあるとアレントは言う。
 ここで自己同一性とは、既成の規定性から身を不断に引きはがしていく自由な状態を指している。こうしたアレントアイデンティティ論によれば、自分の意図が他者にまったく違った意味を持って受け取られてしまうその可能性に身を曝すこと、そうした解放された状態において自らを支え、それでもって自らを定義すること、これこそが、まさに自らに由るという意味で自己自身であることなのである。
 この自由の創造が社会の関係性の基本原理となる事態こそ近代に本質的な現象であり、そうした基本原理を近代性の原理だと本論は定義する。これに対して、あらわれが本質的にもたざるを得ない複数性を抑圧し、自己の意図のもとに自己のあらわれを制御しようとするあり方を支配と定義する。たとえば司令官が戦場で突撃命令を発する。だがその命令を聞いた部下の兵上がその命令をそれぞれに解釈し、ある者はそれに賛同し、ある者は距離をとり、ある者は司令官の自己顕示欲の発露に過ぎないと解釈する場面を想像しよう。そうした複数的な解釈を認めず、司令官の意図をそのまま兵士自らの意図とするよう強制すること、そうしたしかたで解釈と反応を「訓練」すること、これこそが支配である。支配は「正しい」解釈と「誤った」解釈を区別し、後者を排除する。現代フランスの哲学者フーコーは、『監獄の誕生』(原書1966年、和訳1977年)という書物で、解釈の多義性を一つに収斂させる「訓練」をディシブリンと呼んでいる。
 このように考えれば、あらわれの複数性は、通史において表記される近代だけではなく、それ以前にも支配に対抗して普遍的に存在しえた現象だったといえる。複数性の歴史的起源は少なくとも相互にあらわれあう複数の自由な人開かいるところ、したがって西洋の近代市民革命のみならず、宗教改革ルネッサンス、そして古代ギリシャやそれ以前にまで遡ることになる。日本においては、幕末や明治維新はむろん、封建時代においても、中央の権力に対する地方の権力、武士の権力に対抗する知識人や町人文化、農村社会の長い伝統のうちに脈々と受け継がれてきたともいえる。そして一般的に言われる通史的な意味での近代とは、この複数性の原理が優勢となり、その原理が社会の主要な決定原理として制度化−実質化した時代、その原理にもとづく政治的・社会的な統合が推進された時代だと考えることができる。
 近代を代表する制度はさしあたり科学と議会であると考えられる。いずれも、自らの見解(オピニオン)を他者の目に曝し、その自由な評価にゆだねることによって、はじめて承認を得ていくシステムである。真理や正義が秘められたかたちで確立され、その既成の「真理」をただ正確に承認する訓練を強要するのが支配である。これに対抗して科学と議会は自由に発言する複数の成員の集合、つまり協会(アソシエーション)として制度化された。そこで真理とは固定したドグマではなく、その表明をめぐって様々な受け取り方がそれ自体表明され、さらにそこから新しい見方が表明される、そうした不断の過程のなかにのみ存在するものである。そうした過程を経て得られた結論もまた、不断の異議申し立てを通じて他者に開かれており、ふたたび真理のひきうすに投じられていく。そこで真理は固定せず、手続き的なかたちでのみ成立する。とすれば、ある命題が正しいとされる論拠は、最終的で決定的なかたちでは存在せず、それを巡るやりとりのプロセス、つまりアーギュメント(論の積み上げ)のなかにしかない。アソシエーションは、アーギュメントをともに構成しようとする成員の積極的な関り、によってはじめて維持される。大学もまたアソシエーションの一種であり、その決定原理はアカデミズムと呼ばれる。アカデミーは近代性の原理を、アーギュメントが専門的に理解できる少数の卓越者のうちで実現しようとするものである。とはいえアカデミズムもまた、「支配」に対抗して、成員間での水平的な議論の制度を創造し、維持し、活性化しようとする全員の合意によって創建され、維持される。
 戦後の日本においては、垂直的に権威と権限を配分する天皇制とそれに迎合する民衆の権威主義に対抗して、水平的で自由な議論を社会の決定原理とすることが主張された。いわゆる戦後民主主義と呼ばれる運動である。江戸時代の町人や農民の議論の伝統、自由民権運動大正デモクラシーに代表される戦前の様々な議論の試み、つまり複数性の可能性は、とりわけ1931年以降、天皇制による支配によって一元的な神話的意味体系に回収された。その支配は上からの押しつけだけではなく、下からの熱狂的な迎合によっても強化された。戦後民主主義は、こうした支配衝動に対抗して、アメリカからの強制だけではなく、日本文化のうちに古くから存在した複数性の伝統に回帰しようとするものでもあったといえる。それは近代性の原理である複数性を議論、つまり概念的な意味に依拠するテクストのかたちで展開し、かつ統合しようとするかたちをとっだ。新制大学もまた、こうした時代精神の中で学の再出発を誓ったのだといえる。
 その時代の証言は、すでに1946年制作の黒澤明「わが青春に悔いなし」に余すところなく描かれている。そこでは、夫を戦前の特別高等警察に虐殺された妻が、「顧みて悔いのない生活」という標語のもと、ピアノを弾いていた手を鍬に持ち代え、戦後、いまだ権威主義が支配する農村に入り込んで、近代性の原理の実現のために青春を賭ける姿が描かれている。
 水平的な議論を垂直的な支配に対抗するものとして活性化させる戦後民主主義の集大成は、1959年の60年安保闘争であった。そこで支配は、いまだ天皇制や軍部の影を引きずる保守勢力とその背後にあるアメリカが垂直的にもたらしてくるものだと考えられた。国会突入で亡くなった樺美智子の『人しれず微笑まん』(1960年)を読むと、いまだこの時代、70年代の学生運動と違って、理性や議論への信頼と未来への希望に暗い影が差していないことがわかる。


2、高度経済成長と近代化(50−60年代)

 このように考えてくれば、近代性(modernity)は、近代化(modernization)とは厳密に区別されるべき概念だということがわかる。近代性の原理は、そこに自然的・人為的な強制があると機能しない。つまり自然や社会の非合理な強制力によって人々の安全が脅かされていては、行為の自由な解釈とその表現どころではなくなる。したがって近代化とは、非合理な強制と支配の圧力から複数性の領域を防衛する壁を築くこと、つまり近代性の条件を形成しようとするものである。つまり近代化は、産業、科学技術、政治制度、家族制度、教育(学校)、防衛(軍隊)といった分野において、人々の生存と安全を確保することを目的として、自然と社会を制御可能なかたちに合理的に組織する。
 ここで重要なのは、近代化の過程においては、それが制御を日的とする以上、他者たちによって表明される複数の意見、つまりあらわれの複数性を一定の目的とその枠組みの中に組み込んでいく支配の要素が、どうしても必要となるということである。たとえば、生活用水の確保や治水を日的とし、その目的を実現するもっとも合理な手段として、力学と河川工学の成果に基づいてダム計画が立案され、その妥当性を議会が承認する。それが承認されれば、同じくもっとも合理的な手段と手続きによってその建設が技術官僚の手により実行に移される。そのとき、それを実行するかぎりでは、当の目的や手段の正当性を疑うことは難しい。
 これは近代性の原理そのものによって運営される分野についても言える。たとえば科学は見解や論文に対する自由な批判と解釈によって成立する。しかし論文を理解しその批判や解釈を妥当なかたちでなしうるには、その学問分野についての知識と訓練が必要となる。誤った理解と正しい理解を区別し、前者を排除する指導なくしては、アソシエーションを構成する自由で自立した成員となることはできない。指導者と同じように物事を解釈できるように訓練すること、この支配の及ぶかぎり、学習者は指導の目的とその手段の正当性を疑うことはできない。つまり自由であるべき複数性の領域(アソシエーション)は、自立した自由な主体を生産するために、近代化の過程、つまり指導と訓練という支配の過程を必要とする。そのかぎりで近代化は、その目的を自由に問い直したり相対化したりする近代性の原理とは相反する性格を帯びている。
 近代化にはもう1つ重要な側面が存在する。伝統的な家父長制にもとづく封建的な家制度から、個人に基づく核家族制度を生み出したということがそれである。伝統的な家父長制は家を生産の場とし、家父長がその絶対的な決定権を握っていた。近代性の原理はこうした専制に対抗し、自由な個人の自由な結びつきに基づく新しい家族のありかたを模索した。これに対応して、近代化は血縁に基づく核家族の維持と再生産、そのための物質的・精神的制度を整備することを任務としたといえる。そしてそれゆえに近代化が、核家族制度そのものに内在する問題性を問い直すことはまれであった。
 近代化は本来、近代性の原理の実現を目的とするから、それと相伴って進展すべきものであるといえる。近代化の過程においても、近代性の原理によって、その過程の進行を問いただしたり、やり方を変更したり、遅らせたり、中止したりすることがあってもよいのである。にもかかわらず近代化が近代性の原理から切り離され、たんに手段として生み出された目的や方法が唯一無二の「真理」として固定化し、人々の多様なものの見方を抑圧するかたちで社会に適用されていくとき、近代化はたんに支配としての性格を強めることになる。それは近代的支配と呼ばれる。本来は近代性の原理であるはずの開発、デペロプメント(包まれているものを複数の人間の前で繰り広げていくこと)の実際が、近代性の原理とともに進行する近代化なのか、それとも近代性の原理を抑圧する近代化、つまり近代的支配なのか、人々は身近な例に従って容易に判別することができるであろう。
 日本をはじめとする後発的な近代化国においては、実現すべき目的は欧米の近代国家からもたらされた。理系の学問は無論、美術もデザインも、欧米の成果を真理として輸入しそれを我が国に適用することが近代化だと考えられた。哲学のように古代ギリシャ以来の近代性の原理そのものに依拠する学問でさえ、日本においては、真理の体系の輸入とその精確な解釈という枠を乗り越えられなかった。たとえ複数性に基づくアカデミックな論争が生じるとしても、すでに真理として確定されている西洋の古典的文献についての厳密な解釈競争というかたちをとることになる。留学したり、師事したり、欧米に近いほど研究の真理性と研究者の権威は高いとみなされる。そしてそれはピラミッド型の大学の講座制を支える。デザインにおいても、明治期に日本に導入された洋風建築の多くが今日「近代化遺産」と呼ばれているのにも理由があるといえよう。近代化そのものの持つ意味を近代性の原理(複数性)によって吟味にさらすことがなくとも、そして場合によってはそれを抑圧しても、近代化を推進することは十分に可能なのである。
 近代化を象徴する技術のあり方は、「シヴィル・エンジニアリング」と呼ばれる。日本では土木工学と訳されたりするが、むしろ公共事業と訳す方が適切だと考えられる。これは科学の成果と議会の(民主主義的)決定に従って、そしてそれを支えるために、生活を合理化し国土と生産を合理的に制御していく技術のあり方を指している。こうした近代化は狭義の都市計画や土木型の公共事業にとどまらず、鉱工業、繊維、機械、化学、電気、自動車といった主要産業の創出と振興、公共交通網の整備、耐久消費財の配備、大衆を啓蒙する放送機関や娯楽を与える文化産業の育成といったものも含んでいる。それらに共通する特徴は、産業革命を直接の起源とする大量生産技術、つまり機械工業をもって大量にコピーを生み出す技術であり、近代デザインを生み出す前提となった技術のあり方だと言うことができる。


3、モダニズム(1968年)

 近代化の過程を本格的に批判にさらしたのが、一般にモダニズムと呼ばれるもう1つの近代性のありかたであった。モダニズムは、近代性の原理、つまりモダニティそのものとよく混同されるが、両者は明確に区別されるべきものである。モダニズムは、おもに19世紀に欧州で次第に形成され、20世紀にそのピークを迎えたとされる、歴史的に明確に区切られた運動である。日本においては、戦前の大正デモクラシー期において導入され、1960年代にふたたび興隆を見ることになる。モダニズムとは、複数性への桎梏と化した近代化=近代的支配を批判するために、近代性の原理自身が近代化に対抗して生み出したものだということができる。
 その定義は、哲学的にはミッシェル・フーコーによるものが決定的だといえる。フーコーは『言葉と物』(原著1966年、和訳1974年)という著作で、これまでひとしなみに近代だと考えられてきた時代を17,18世紀の「クラシック(古典的近代)」と、19,20世紀の「モデルニテ(現代)」の2つに分割した。モダニズムは、フーコーの言う「モデルニテ」に該当する。フーコーによれば古典的近代においては、表現や知は、「表」として展開されるかたちをとって成立するという。たとえば博物学においては、互いに類似した特徴を持つ生物が類や種として表の上に分類されることになる。これに対して現代においては、類似した表象を分類する表の効力は失われ、ダーウィンの進化論に特徴的なように時間的な系統発生がそれに取って代わるとされる。すなわち時間性、歴史性といったものが表現や知を可能にする条件となる。時間的経過のうちで、以前の表象を覆す形で別の表象が成立するという形式を備えたものだけが真理であり、善であり、美である。こうしたモダニズムの考え方は、真理をプロセスのうちへと解放する近代性の原理をあるしかたで引き継ぐものだといえる。ただしモダニズムは、その時間的経過、歴史的推移を、進歩の過程としてあらかじめ予定調和的に想定する。哲学史においてこれにもっともよく相当する思想はヘーゲル弁証法である。ヘーゲルは、肯定と否定の双方の立場から物事がとらえられ、その双方の立場のせめぎ合いの中で、物事のあり方がどう変化していくのかを弁証法の名によって記述した。しかしそのプロセスは、世界史の完成と絶対知の成就に向かうものとして、ヘーゲルのいう「我々」の立場から、あらかじめ描かれ、プログラムされていた。ヘーゲルを批判したマルクスも、あらかじめ定められた究極目的に向かって進歩するこの弁証法の思考形態を引き継ぐことになった。その結果、マルクス主義は、思想史上モダ二ズムのもっとも強力な担い手となったといえる。
 この思考形態を現代芸術の領域ではっきりと表明したのが、有名な美術評論家グリーンバーグである。有名な論文「アヴァンギャルドキッチュ」(原著1939年)において、古典的な静的規範に従うことに自足するのではなく、むしろそうした規範を変更にもたらし、ある表現分野に新しい表現の可能性を提案しうるものこそが、アヴァンギャルド芸術(前衛芸術)の名に値するとグリーンパークは主張する。だから現代芸術は、自らの表現の条件であるメディア(たとえば絵画という表現媒体)そのものを反省的に自覚し、伝統的な表現のありかたをつねに乗り越える「新しいもの」でなければならない。それは同時に、既成の表現の枠組みに支配された受け手の美的感覚そのものに挑戦するとされる。
 音楽の領域でも事情はこれと似ている。ハイドンモーツァルトのような古典派の音楽は、ソナタ形式や調性といった一定の音楽的規範(まるで1つの表のような)に従うことによって美の基準を満たすと、19世紀の音楽学は考えた。そしてその古典的形式は、その後のロマン派の動的な展開の中で様々に脅かされ、音楽形式は歴史のうちで不断に打ち破られ、前進すると見なされる。古典派の音楽を静的な規範に従うものと考察すること自体が歴史的なものの見方、つまりモダニズムによって成立しているともいえよう。その結果、音楽史が行き着くことになる調性の破壊は、音楽という表現のメディアそのものに根本的な反省を迫り、従来音楽とは見なされなかった音の配列を新しい音楽として提示することになる。シェーンベルクの12音技法は、その表のようなシンメトリーにポイントかおるのではなく、そうしたシンメトリーを成立させるに至った歴史的なダイナミズムの考察によって、その先端性が保証される。
 とすればメディア論は、モダニズムの申し子だということができる。メディア論は、その創始者と目されるマクルーハンの著作『メディア論』(原著1964年、和訳1987年)によれば、伝達される内容ではなく、伝達の形式を問題とする。テレビで何か放送されるのかではなく、テレビという伝達のあり方が、社会に対してどのようなメッセージを与えたか、つまり人々の知覚と生活をどのように変化させたのかをメディア論は問うわけである。こうしたメディア論的態度は、まさに前衛芸術の構えと同一であるといえる。たとえば絵画についてのモダニズム的態度とは、ある絵画において何か描かれているかではなく、それがどのように描かれているかを問うのであり、さらには、描くとはどういうことなのかを描くような絵画こそが、絵画というメディアのあり方を反省し、その可能性を拡張する先端的表現だということになる。
 ここで重要なのは、こうしたモダニズムの運動が、近代化批判として展開されたという点にほかならない。従来上層階級の独占物であった生活手段を大量生産と複製技術によって安価に大衆に提供することを近代化は可能にした。工場制機械工業、代議制民士主義、技術官僚制、小中高の教育機関、大学といった装置は、まさに近代化の成果であった。 しかし近代化は同時に、垂直的で専門な訓練の制度として、自由な議論を抑圧する近代的支配の様相を強めていく。それを戦後において敏感に意識したのが、1960年代の後半という時代であった。
 戦後の日本において近代化を本格的に批判にさらしたのは、1968年の大学紛争であり1970年代の公害反対運動である。水俣病事件のさなかに執筆された石牟礼道子の『苫海浄土』(講談社初版1969年)は、近代的支配によって押しつぶされていく前近代的な漁民の生活を描いた。学生たちは、ピラミッド型の大学の講座制、そしてそれと結びつく産業界、そして政治家が経済的利害や政治的力学に基づいて物事を決定していく事態を批判し、それらの「部品」となるよう大学で「訓練」される自分自身のありかたを自己批判した。そしてその後の公害反対運動やベトナム反戦運動三里塚反対闘争なども、近代化の技術機構がいわば自動化し、人間を機械の部品の立場に既め、それにより人間の全体性を破壊しゆく状況を批判した。それらはすべて近代性の原理によって生み出されながらも、いまやその原理自身を抑圧するに至った近代化の負の遺産であった。
 近代化の技術機構は、文化的表現の生産にも及ぶ。そこではまるで、工場で製品のコピーが大量に生産されるように、文化的表現もひとつの「製品」として大量生産される。ここで注目すべきは、グリーンバーグがこうした工場型の文化産業を近代化の負の遺産と見なしたという点である。文化産業が大量生産を通じて大衆に提供するものを彼はキッチュと呼ぶ。キッチュは、それ自身のうちに形象化の論理を持たず、したがってかつて価値があると思われていたような歴史的破片をつぎはぎした粗悪なものであり、その歴史的装飾によって人々を幻惑する。産業資本は労働において労働者を搾り取り、文化産業は余暇において搾り取る。つまり文化産業とは、独立した美的評価の能力を人々から奪い、資本の利益にしたがう感性のありかたを人々にすり込む、いわば支配の機関にほかならないというわけである。そうした近代化の負の側面に対し、モダニズムの原理に従う新しい表現と技術こそ大衆を真に解放し、新しい人間に生まれ変わらせうるのだ、と彼は主張した。こうしたグリーンバーグの主張は、マルクス主義の資本主義文化批判と結びついて、戦後の日本の文化理論において強力な影響力を発揮することになった。
 モダンデザインもまた、こうした近代化批判の文脈において誕生した。19世紀末のドイツにおいて、産業革命によってもたらされた粗悪な生活環境から人々を解放するものとして、ユーゲントシュティールや生活改革運動が提唱され、そのなかから、歴史的装飾を犯罪と断罪するアドルフ・ロースバウハウスの合理主義的デザインが生まれてくる。近代化は物や人といった素材を目的のために利用する。しかしその目的はいまや、人間を解放するのではなく抑圧している。とすれば素材を既存の目的から解放し、それをあるべき人間の生活のために、あるべき正しい社会のために再編成しなければならない。このようにデザインのモダニズム(機能主義)は考える。既存の目的、つまり近代的支配から解放された素材が、新しい機械となってよみがえるところに、デザインのモダニズムは輝くことになる。人もまた、近代化がもたらす支配から離脱して、新しいつながりかたをとることができるはずだ、そしてそのときに自然もまた、近代化の支配対象(資源)ではなく、まったく新しい相貌をもって人間に現れてくる。そのようにユーゲントシュティールもバウハウスも考えたといえよう。
 近代化は、近代性の原理によってもたらされた成果を社会に応用し、社会の合理化を図ろうとするものであり、それは基本的にはトップダウンのツリー構造をとる。これに対してモダ二ズムはそうしたツリー構造と敵対し、その垂直的な配置を組み替えて、素材を解放する新しい組織形態を作り上げようとする。フランスで5月革命が起きた1968年は、その組織形態において、政治においても、芸術・学術においても、前衛であり、実験であり、先端であることが何より価値を持った時代の1つのピークであったといえる。政府や財界もまた、左翼運動を否定しつつも、それに対抗するためにモダニズムの原理を取り入れざるを得ないところに追い込まれてゆく。
 九州芸術工科大学はまさにその1968年に「技術の人間化」を掲げて誕生した。「技術の人間化」は、近代化の属性である専門分化が、全体的な存在としての人間を解体し、近代化の機構に従属させ、不幸にしていることに対する批判として提唱された。そして専門分化に対抗して、専門融合(インターディシプリナリティ)によって、人間をもう一度トータルに認識しようという理念が提唱されたのである。「技術の人間化」を標榜する「高次の」デザインとは、近代化の負の側面に対抗する新しい〈技術の前衛主義〉を標榜するものであった。そしてその技術の前衛主義においては、近代化を特徴付けていた専門分化の壁の中から技術を救いだし、それを人間の全体性のために組み替えていくことが目指された。そこでは、新しい人間の生活を可能にする、新しいメディアとしての技術論が提起されるはずであった。最高議決機関としての拡大教授会も垂直的な講座制に対抗する水平的な議論の場として設置された。1968年は、日本において初めて、もはや近代化の輸入主義ではなく、近代化批判という欧米と同様の問題意識によってデザインが定義された記念すべき年となったといえる。
 近代性の原理は、自分の意図と他者の解釈の分裂を基礎として対話や議論を進めていくところに根付くものであった、そうした複数的なあり方を実現する物質的・制度的条件を準備するものとして近代化が要請された。しかし近代化は、いまや複数性に対して抑圧的に働くようになる。そこで近代性の原理はその抑圧に対してさらに近代化を先鋭化させるかたちでそれを突破しようとする。このようにモダニズムは、近代化に対して進歩のダイナミズムをさらに加速するハイパー近代化とでもいうべきものである。行為の成果は歴史のうちで不断に進歩すべきであり、つねに新しいものが生み出されるべきだという、この新しさへの自己目的的な強迫衝動こそが、モダニズムを特徴付けることになる。
 しかも先述したとおり、モダニズムにおいては、そうした新しさへの追求が1つのプログラムとしてまえもって予定されている。新たな試みがキッチュへの退行や逸脱ではなく、あくまで正しい「進歩」であるためには、何が進歩なのか前もって決めておかなくてはならない。
 ところが、「進歩した意識」はそれが進歩しているがゆえに、いわゆる「遅れた意識」からはその進歩具合がうまく理解できない。つまりモダニズムの歴史進歩主義においては、進歩していると主張される試みに対し、その意味を他者が自由に批判することができなくなるのである。たとえそれが理解できず、あるいは間違っていると思っても、それはそう思っている当人が「進んだ意識」を持っていないせいだとされる。前衛主義においては、あらかじめ定められた歴史観に従って、進んだ前衛が遅れた大衆を指導するのであり、後者が前者に意味を付与することは許されない。そしてそうした尺度としての歴史観そのものを自由な討議にかけることもまた、不可能になる。
 さらに問題は、そうした進歩の歴史観が1つとは限らないことにある。自由で複数的な批判は、歴史の目的論そのものに複数の解釈を生み出す。ところがモダニズムは進歩を標榜する以上、そうした複数性を安易に認めてしまうわけにはいかない。ここに、モダニズムが近代性の原理をその動力としながらも、それにふたたび抑圧的に働く根本的な原因があるといえる。モダニズムは、ある歴史観の内部で進歩についての意識の統一を求められる結果、別の世界観とのあいだに深刻な対立を生むことになる。モダニストたちは、我が集団こそ本物で他は偽物だと言い続けなければならなくなり、些細な違いで互いを排撃するセクト主義に陥る。前進する歴史をめぐって、この本物−偽物、先端的−時代遅れ、正統−逸脱の二元論が、モダニズムを特徴付ける主要言語となる。あらわれの複数性にもとづく近代性の原理が、世界観内部での思想の純化と統一、その裏面としての複数の世界観の先鋭な対立というかたちをとるのが、モダニズムなのである。


4、ポストモダニズム(70−80年代)

 アメリカでは1950年台以降、日本や欧州ではおもに1970年台以降に、物質生産に立脚した産業資本主義とは異なった、消費資本主義と呼ばれる根本的に新しい資本主義のあり方が台頭してくる。
 敗戦からの復興のなかで高度経済成長が実現し、生存に必要な近代化の諸制度がほぼ一巡してしまうと、資本主義は生産力の主力を、近代的人間の生存に必要なものから、人間の価値の承認、その社会的評価を高めるものへと転換していく。つまりそこで商品は、生物学的人間の必要から、コミュニケーションする人間の欲望にかなうものへと質的に転換する。それと同時に商品の価値もまた、自己保存を目的とする具体的な使用価値から自己表現のための抽象的な記号的価値へと転換する。
 そこでは第二次産業である工業ではなく、第三次産業である流通業・サービス栗が資本主義の主力を担うことになる。工業とサービス業には、たんにその業態が異なるという以上の決定的な違いがある。それは、工業が生存の安全と効率化に関わるモノの生産に従事するのに対して、サービス業はコミュニケーションに焦点を当てるコトの生産に従事するという点である。
 工業生産物は、その機能、価格対性能比を向上させるという意味で、進歩への直線的な時間軸を前提としている。新製品は旧製品より進歩しているのである。その技術的進歩を、同じく進歩した社会思想が利用し、よりよき社会、人間を解放する世界へと向かう。工業生産を自由な議論(テクスト的合理性)が制御し、社会を合理的に計画する。これは工業生産力に基礎を置く近代化やモダンデザインの設計思想そのものといえる。
 しかしながらサービス業や流通業の論理は異なっている。というのもそれらは、その時々の社会状況に埋め込まれた消費意識に上手に適合し、市場においてその都度、消費者とコミュニケーションすることを求めているからである。そこでは商品の機能は、目的合理性の効率的な実現ではなく、むしろそのときどきの短期的な消費意識に適合することであり、むしろそうした消費意識を先導し、それを創造する能力として定義される。消費社会においては、キッチュであろうが、幻惑であろうが、いわゆる先端であろうが、世界観にもとづく歴史的な評価、つまり何が進んでいるのかは問題とされない。瞬発的な流通力をもつ記号をいかに発案するかが決定的に重要なのである。 70年代以降の工業は、物質的な生産過程がサービス業・小売業のコミュニケーションカ(販売力)に従属する形で生き残りを図ってきた。もはや人類の進歩ではなく、顧客とのコミュニケーションがとれる商品を、素早く、高精度に生産できる能力が工業には求められたのである。
 それに伴ってモダニズムの敵は、文化的な大量生産品(近代化)から魅力的な商品(消費社会)へと自覚することなくスライドしていく。モダニズムが当初敵と名指したキッチュは、大量生産・ライン労働を中心とする産業資本主義の派生物であり、生産現場で酷使された労働者にそのわずかな余暇時間の気晴らしを提供する慰み物にすぎない。しかし資本主義の主力が流通業やサービス業を中心とするコミュニケーション資本主義に移行することで、文化商品は決定的な変質を被る。新しい文化商品は主力産業のたんなる補完物ではなく、それ自体主力産業の生産物となり、社会の意識中枢を書き出す決定的な表現形態、つまり言語(名辞)となる。
 かつてテクストは、現実の部分を正しく写し取った概念(名辞)を正しく配置することで、現実の真の姿を示すものであった。本は、まさにその意味で現実以上に現実的なものだと考えられた。しかし今日、ファッション雑誌に典型的なように、現実は記号の編集とその配置によって示される。人々はいまや概念によって議論する代わりに、商品アイテムを編集することでひとつの文を構成する。概念の代わりに商品アイテムが名辞となり、その組み合わせを通じて人々は「議論」しているのである。
 その結果、モダニズムの歴史先端主義は無力化されるに至る。日本におけるその決定的契機となっだのが、1972年の連合赤軍山岳ベース事件であった。よく知られているようにその事件では、「総括」の名の下に徹底した自己批判が強制され、ディシプリンの論理によって陰惨な暴力がふるわれ、多数の仲間が死に至らしめられた。「それは総括になっていない」、「おまえはわかっていない」と指導部からひとたび言われたならば、それに反論することは不可能となる。なぜならどんな反対意見を言っても、それは遅れた意識のなせる技、資本主義に毒されているがゆえと規定されてしまうからである。内部の純化と外部への敵対の構図の中で、革命兵士として進化するといった進歩の強制の名の下で、遅れた自己のあり方を粉砕し一歩進める覚醒の契機として暴力が行使された。
 この連合赤軍事件は、当時台頭しつつあった商品記号に対する反動的側面を持っていた。というのも女性「革命戦士」が死に至らしめられたその主な理由は、女性が化粧をしていた、つまり商品の記号を身に帯びていたということにあったからである。
 モダニズムにおける垂直性、つまり高い意識を持った前衛が低い意識を持った大衆を指導するという図式を根底から批判にさらしたのは、この商品記号の論理であった。前衛の意識からはいかに進んだ正しい行為であるとしても、その歴史観を共有しない外部にとっては、たんに理解できないもの、つまらないもの、売れないものでしかない。こうして消費社会は、文化商品市場の公共性、つまり記号アイテムの交換というかたちで、モダニズム歴史観を、つまりテクストを通じた内的純化と外的敵対の過程を丸ごと相対化したのである。そしてそうであればあるほど、モダニズムは消費社会の記号に敏感となり、それを排撃するようになる。そしてそれと同時に、自ら孤立し先鋭化し、内部分裂と抗争に明け暮れ、外部に全く通用しない内部支配を強化していく。こうしてモダニズムもまた、排除と純化の過程で近代性の原理を裏切るモダニズム的支配に堕したのである。モダニズムは当初は近代的支配に対抗していたはずであった。にもかかわらずいつの間にかその敵は消費社会にすり替わっていた。かつての文化産業と今日の情報産業は構造的に全く別物なのに、自分の敵が変化したことにモダニズムはまったく気がつかなかった。その結果モダニズムは不可知の敵に、我知らず、葬られていくことになる。
 とはいえ1970年代は、私がみるところ、台頭する消費社会のなかでモダニズムの残存勢力がなお戦闘力を保持しえた最後の時代だといえる。たとえばロック音楽は、1965年頃、イギリスにおいて甘ったるい商業音楽への批判として成立したとされる。この産業革命的・大量生産的キッチュに対抗するため、ロックは伝統的で非商業的な音楽、つまり黒人ブルースをアメリカ黒人社会から取り込み、いわば真正なる前衛的なサウンドとメッセージを創造した。それはモダニズムの前衛主義の刻印を色濃く帯びている。しかしロックは自分たちの新しい試みを正当化してくれる歴史観をすぐに見失う。1969年のウッドストック音楽祭以降、ロックはいわば世界史の進行から見捨てられてゆく。正しさも美しさも保証されない、にもかかわらずこれこそが真正だと信ずる、いわば孤立した魂の叫びといった様相を、ロックは強めていく。しかもロックは、その音楽を流通させるためには、いまや我知らずその敵となった消費資本主義と手を組まなければならない。ロック的意識は自己矛盾に引き裂かれ、ますます内部で純化の圧力を高めるのだが、しかもそれは同時に、苦悩するロック的な身振り、ロック様式とでもいうべき文化商品として記号化されて、丸ごと売りに出される。1994年のカート・コバーンの自殺は、そうしたロックの歴史を最終的に「総括」したかのようである。
 モダニズムと消費社会の関ヶ原は、日本においてはかの連合赤軍事件であった。そこで敗北したモダニズム的意識は以後連戦連敗を続け、前衛であるはずのモダニズムは、1980年代には70年代の残骸、つまりそれ自体として時代遅れなものと見なされるようになり、1990年代になると残存するモダ二スト達は、わけもなく何かに執着している人々、つまり「オタク」と見分けがつかなくなる。市場における瞬間的な記号の快楽とその永遠の交換運動が、人間と社会を導くはずだったかの歴史的道行きを無意味化してしまう。そしてそれに抵抗しようとする表現や政治行動は、そういう抵抗する記号としてそれ自体、消費資本やマスコミの中で商品化される。連合赤軍が山岳ベースで「進歩」の名において同志を粛正し、その直後に浅間山荘でマスコミの格好の餌食として、もっとも流通力を持つ記号、つまり映像スペクタクルとして売りに出されたのはまさに象徴的といえる。消費社会に包囲されたモダニズム的意識が生き延びうる可能性はもはやどこにも残されていない。
 人々が通常、ポストモダンという言い方をしているのは、正確に言えば、この意味でのポストモダニズムに相当する。
 モダニズムとしての芸術工学が輝いていたのは1968年からわずか数年ほどのことだったと推測する。芸術工学の理念とは、近代的支配という目的から解放された技術、つまり自由な技術が人間の本質に対応した「正しい」「あるべき」環境を構成すべきというものであった。しかし70年代において、モダニズム的理念を探求する精神的エネルギーを時代はもはや注入してはくれない。その結果、芸工大全体が、かつて自らが克服しようとした近代化、つまり専門分化の力に引き戻されることになる。それぞれの研究室は相互の連絡を弱め、既存の学会に従属するかたちで自らのディシプリンを必死に守ろうとする、そうした反動化の波にさらされたのである。環境設計学科もまた、既存のディシプリンから離脱した新しい「構築 Bau」というバウハウスの理念に従い、各技術の成果を統合すべき筆頭学科として設置されたはずであった。 しかしいまや「建築」学科化の道と無縁ではなくなる。「技術の人間化」の理念は形骸化し、もはや時代遅れなものと意識されるようになったのである。
 この沈滞を打ち破る1つの可能性を模索したのが1997年の組織改革であった。その年には、大学設置基準の大綱化にともない、それまで人文系の一般教育を担っていた教員が専門課程に参加する節目の時期でもあった。97年の私の教員公募もまた、環境設計と哲学という2つの領域にまたがる、まさに境界越境を特徴付けるものだったといえる。
 人間をトータルに扱う環境設計という理念からすれば、ディシプリンの広域化は望ましいはずなのだが、しかしその結果として1つのアイデンティティクライシスともいうべき現象が、環境設計学科の教員と学生を苦しめることになった。その対応策として学科はふたたびカリキュラムの必修化を進め、既存の「建築」を中心とする方向へと舵を切り始める。
 そしてその動きをカウンター的に直撃したのが九州大学との統合であった。(その直前に九大の講座制に倣って拡大教授会も廃止される。)工学部建築学科と正面から競合することになった環境設計学科は、建築士資格と JABEE という既存ディシプリンヘの標準化過程に活路を見いだす。全国標準化は必修化を通じてほかの建築学科と同じになるという宣言を意味する。その結果、それでも建築学科になりきれないことに不満を持つ建築系教員と、建築学科化に歯止めをかけようとする非建築系教員双方の有形無形の離反を招くこととなった。 2009年の大学院の再編はその分裂に最終的で決定的な作用を及ぼした。これは、モダニズムポストモダニズム戦略を持たないまま、かつての近代化の論理へと反動的に回帰しゆく例のように見えなくもない。


5、90−00年代

  ロスト・ジェネレーション、消費社会とセカイ系

 近代性の原理はその展開の過程で近代化という形態をとることにより自己自身のあり方を変質させてしまう。そうした近代化に対抗して、近代性の原理は再びモダニズムという形態をとって近代化批判を行う。しかしモダニズムもまたその進歩主義、前衛主義において複数性の原理に背き、モダニズム的支配に陥る。その支配を打ち破るものとして、消費社会の旺盛な購買意欲が登場する。
 モダニズムが素材の要素を人間と社会の全体性、その前進過程のうちで再統合しようとしたのに対して、消費社会は記号の瞬間的な交換と消費によってその全体性を解体する効果を果たした。 80年代後半のバブル景気において日本社会が消費社会化・記号化のピークを迎えたとすれば、90年代以降はその陰の部分が顕在化した時代だったといえる。いわゆるロスト・ジェネレーションと呼ばれる時代である。
 ここで記号化を考察するにあたって最も重要なのは性の問題である。というのも消費社会はセクシャリティをその中心的な運動原理としているからである。もはや商品は個体の生物学的な自己保存に役立つ「必要」ではなく、それを超えたコミュニケーションの原理、つまり価値あるものに接近してそれと交わりたいというエロスの「欲望」に依拠している。欲望するこの心的エネルギーをフロイトはリビドーと呼んだ。商品は個体生存の必要物から、性的リビドーの投射の対象となった。商品たちはきらびやかな陳列棚で、自分かちがいかにセクシーであるかを競い合う。そして人々は、自分の性的エネルギーを投射した商品を購入することで、商品と日常的にいわばセックスすることを覚える。人々はリビドーを対象に投射し、その対象を手中にすることで、自分が投射したリビドーを再び自己に取り込む。そうした投資(備給)と回収のプロセスを通じて、自己愛を、つまり自分の価値意識をひとは高めていくのだ、というのがフロイトナルシシズム論の骨格である。
 これまで私の行為の意味は、他者による概念的な意味づけを受けることにより複数的なものとして現象してきた。だからこそ、概念に基づくテクスト的な討議、つまり対等で相互的な議論こそ、他者における私の行為のあらわれをふたたび私に引き戻し、そうしたしかたで、私の行為の複数性を人格的・社会的統合にもたらすことができたのだといえる。しかし消費社会において人間は、いわば商品記号の集積として現象する。自己の行為がどのように他者にあらわれるのかというかの複数性の問題は、今日、私の周りを取り囲む様々な記号の総体によって事実上解答されてしまうのである。たとえば私による様々な行為のあらわれには、年老いた両親、消臭サプリメント、ブルーレイプレーヤー、給与、トレーニングジム、住宅ローンといった記号アイテムが対応しており、そうしたアイテムによって逆に、長男、中年男性、オーディオマニア、教師、肩こり、郊外マンション住まい、といったあまりぱっとしない私の人格の記号的な属性が規定されることになる。そしてそれぞれの要素には、その要素をそうあらしめる独自のシステムと物語がぶら下がっている。私はあるときには「家族」し、あるときには「教師」し、あるときには「中年オヤジ」として認知されるという具合に、私の中にいくつものシステムを貫通させている。私はつねにこうした複数の記号アイテムやその物語と無意識のうちにコミュニケーションし等価な関係に入っているのであって、そうした記号の集積として私のあらわれの複数性は代表=表現されているのである。私の人格の価値付けは、私を構成する記号の価値によって評価される。記号の価値は、消費社会においては、基本的にそれがセクシーであるか、つまり人々のコミュニケーション衝動の対象となるかどうかによって決まる。
 性的な記号が全面化することによって、従来のいわゆる性の商品化の問題も根本的に変質する。 1970年代まで市場化される性といえば、生活に困って仕方なく売春するといった形態が主流であった。そして買う方も生物的な本能を満たすために余儀なくそうしていると観念されていた。つまり産業資本主義における売春の形態は、工場における単純肉体労働と同じように、売る方も買う方も、身体の必要を満たし生命をつなぐために、いかなるあらわれの次元も持つことなく、ひたすら反復に従事する労働であった。そしてその反面、いわゆる「正しい」性のあり方は、恋愛や結婚を通じて血縁核家族制の枠内に押し留められていたのである。商品化される非道徳的性と商品化されない道徳的性の二項対立こそ、近代化における性のあり方だといえる。
 しかし80年代以降、社会学者の宮台真司が指摘するように、売春もまた、自己表現の1つ、つまり記号消費の一形態だと認識される。性の売買は、みずから記号(女子大生、女子高生、三高、黒服)となり、しかもその対価を別の記号と交換(たとえばブランド商品を購入)し、さらに自らの記号的価値を高めるという、いわば記号化されたナルシシズムの実現という形態をとるようになる。買う方もまた、生物的必要を満たすというよりは、そうした記号そのものに欲望を抱きそれを摂取したいと思う。そうしたナルシシズムに基づくコミュニケーションは、いまや資本主義の基本的な制度であるから、性は結婚や出産といった近代化の人格的・社会的統合から次第に離脱し、ばらばらな記号として、それぞれのフェティッシュな流通経路に従って自動的に売買されていくようになる。売春においても恋愛においても、そして結婚市場にあっても、身振り、制服、爪先、お茶、オハナシ、年齢、学校名、職業といったさまざまな身体的・精神的要素が個別に商品化され、その記号アイテムの組み合わせによって市場価格が、つまり流通力が決まってくるのである。
 人々は異性(ときには同性)の精神的身体的特徴にリビドーを投射するのだが、そのリビドーは結婚や出産を通じて社会化され、それと同時に自己の人格的な成長へ寄与する。こうした「健全」な社会化の回路は、産業資本主義と核家族制に特徴的な統合の形態であった。産業社会における近代化は、恋愛と結婚、核家族の形成というかたちで性を社会化し、それ以外の性のあり方を倒錯として抑圧する。そうした社会的・人格的統合から逸脱した性のありかたをフロイトは「多形倒錯」と呼んでいる。そうした抑圧された性のエネルギーを解放するという点で、消費社会は性的倒錯が全面化した社会、多形倒錯とナルシシズムによってはじめて駆動されるシステムだということができる。
 記号化された性のあり方を示す壮絶な記録が、飯島愛の『プラトニック・セックス』(2000年)である。本書によれば彼女は中学生の頃まで、厳格な両親の元で勉強一筋の生活を送っていた。 ここでいう「勉強」とは、知識を得ることで社会階層を上昇し、それをもとに安定した核家族を形成するためのものであり、近代化の論理に従うものである。だがこの論理が徹底的に形骸化し、「勉強のできるよい子」でないと「はずかしい。みっともない」という「世間」体が家庭を支配するようになったと彼女は言う。近代化が自己を自由にすることなく、たんに支配としてのみ意識される。それに対する彼女の反抗は、もはやモダニズムを経由することなく、ただちに「歌舞伎町」、「六本木」、「銀座」に通じていく。そこで彼女はとてつもない解放と、そして新たな抑圧に身を曝すことになる。
 血縁に基づく核家族制度を軸とした近代化の性のあり方、その物語から人々は離脱し、遊離した記号となって大都会を浮遊しはじめる。たしかに記号としての性を売り渡したとしても、見かけ上なにも減るものはない。それはたんなる記号の表現行為に過ぎない。いつでもリセットできるはず。しかしそこで失われるのは、他者によって認識される自己の行為の意味(複数性)をふたたび自己が取り込んで、つまりひとたびは分裂した自己の像を再び自己のうちに統合して、自分の存在を他者達のあいだで連続的に展開していく能力なのだといえる。換言すれば、他者達のあいだで行為することによって形成される連続的で発展的な「私」の物語の可能性である。ヒューマニズム、つまり人間形成と成長の論理とも言える。
 これを近代化は血縁核家族主義というかたちで準備した。この家族主義をファミリズムと呼ぶとすれば、消費社会は。それに代わる物語を準備しないままにファミリズムを解体したのである。その結果、消費社会は、自己の人格統合、社会統合を危険にさらしていく。性的衝動が、一定の物語の中に自分を位置づけていく役割を果たさず、その人格的統合の可能性をばらばらに引きさく原理として機能する。こうした社会においては、モダニズムとしてのデザインもまた、近代化の負の側面に対抗して人間と社会を再統合するという理念を喪失し、「モダンデザイン」というおしゃれでステイタスな記号として漂流を始める。バブル経済において、装飾を否定するモダンデザインは、まさに身体の商品化・記号化を推進する装飾としてそれ自体機能した。それは社会を合理的に設計して生活の最適化を図るというデザインの理念とは無縁であり、むしろそういう理念のイメージを象徴的に身に帯びる記号、つまり象徴として、いくつもの倒錯を経て高価に商品化される。
 そしてそうであるがゆえに、かけがえのない自分、決して商品化も記号化もされない愛、自分を決して裏切らない血縁といったものが、消費社会のただ中で逆説的に欲望されることになる。こうして「聖なるもの」が記号化社会のただなかで輝くのだが、しかしそれもまた、ひとつのイメージ、記号でしかありえない。そうしたそれ自体として不可能な「かけがえのないもの」にピュアに憧れつつも、自分の身体を記号として売り続けるあり方、その矛盾と葛藤を描いたのが、『プラトニック・セックス』だといえる。
 この時代を特徴付ける社会理論といえばまずもってボードリヤールの手によるものが挙げられよう。『象徴交換と死』(原著1970年、和訳1979年)における彼の主張の重要な点は、消費資本主義が発達し、すべてが記号化されればされるほど、記号化されないものへの欲望が高まることを指摘したことにある。彼によれば記号化されない最後のものは自己の死にほかならない。性を売ることは、核家族という物語を形成するはずだった自分の時間を売ることと同じである。そしてその時間が「取り返しのつかないもの」であるのは、自分が死に向かう存在だからなのである。この死と時間をめぐって、記号化されない「かけがえのないもの」、いわば本来的なものが組織される。それはさしあたり、自分の身体、恋人、子供、家族といったものであろう。そしてその延長線上に宗教や国家が位置づくのかもしれない。
 こうした反動形態が猖獗を極めたのが、90年代だったということもできる。そこでは、自分の死といういわば世界の終わり、リセットできない絶対的な実在性の基盤が、たとえば身近な恋人との関係と等価だとみなされる。世界とカノジョの運命が完全に同期するような物語が語られる。『新世紀エヴァングリオン』に象徴されるような、いわゆる「セカイ系」と呼ばれる創作物の系譜がそれてある。そしてオウム真理教事件が発生する。絶対的な「真埋」が消費社会のただ中で欲望され、消費の論理に対する暴力的な否定というかたちで噴出する。それはまるで70年代の連合赤軍カリカチュアのようであった。とはいえオウム真理教事件は、消費社会がひとたびは確立したあと、それによって反動的に生み出されたもう1つの記号、つまり絶対的な「真理」という記号を消費社会の内部で欲望したのであり、その意味で消費社会内部での記号操作の次元を一歩も出ることなく、むしろそれを促進するものであった。その点で、かつての連合赤軍事件が、当時台頭しつつあった消費社会の原理そのものに反応したのとは異なっていた。
 2001年に世界を震憾させた9.11テロ事件が生じる。これはいうなれば、90年代の締めくくりとその後の時代を象徴する出来事だったといえる。この自爆テロは、記号資本主義の象徴であった世界貿易センタービルと自己の生命を「交換」する行為であった。交換できないはずの「かけがえのないもの」を、交換によって成り立つ世界総体と等価だと主張する行為が、この自爆テロであった。そうすることでかの自爆テロ事件は、メディア的に最高度の流通力を持つ記号となった。
 消費社会は、コミュニケーション可能なセクシーな記号たちと、その流通回路から排除され、誰にも顧みられることのないむき出しの生へと世界を二分する。前者は死など全く意識させることのないおしゃれでかっこいい商品世界であり、後者は欠乏によって死に脅かされると同時にいかなる表現手段も奪われたただの生き物がうごめく世界である。自爆テロの多くは、むき出しの生を余儀なくされた存在が、記号世界総体と等価であろうとする一種の取引である。その後のイラク戦争もまた、まさに記号としてのマスコミ・イベントと、記号化されないむき出しの死の双方を大量に生産し続けたといえよう。
 それと同時に、日本では小泉構造改革によって労働の記号化がさらに促進された。金融資本主義と労働の非正規化によって、人間の血肉を支出する労働はパソコンと携帯電話上の記号の操作によって代理された。それと同時に、商品社会を根底で支えているにもかかわらず、そこから何も得られない、一切のコミュニケーションから疎外された死線上をさまようむき出しの身体が大量に生み出されたのである。宇野常寛ゼロ年代の想像力』(2008年)が指摘するとおり、流通する記号となって生き残りに賭けるか、流通しないむき出しの生へと堕して引きこもるかこの二極分化にさらされたのが、2000年代だったといえるだろう。飯島愛もまた、まさにこの状況の中で、芸能界における流通記号としての自己と、そこから一歩離れればとてつもない孤独に苛まれる「すっぴん」の身体という矛盾に引き裂かれ、その素の自分をそのままに絶対的に受け入れてくれる誰かを求め続けた。
 こうした状況で、近代性の原理はどのように機能したといえるだろうか。自己の行為の意味を他者への散乱を通じて再統合する力が弱まり、自己はその複数の要素を記号によって代理され、自我統合を破壊される傾向が強まったと、さしあたりは言うことができよう。そしてその反動として記号化されない絶対的な存在や関係性への欲望が強まったとも。複数性の原理は、もはや身近な他者達との複数的な意味の散乱を繰り広げることなく、資本の利益増殖のシステムによって一方的に駆動される。それと同時に、そこから疎外された「決して裏切られることのない」むき出しの親密性の領域を純化する。そういう双子の形態をとって近代性の原理は展開したのだといえる。


6、2010年代のモダニティ

 こうしたありかたから、今日近代性の原理を再生するには、いかなる打開策が考えられるだろうか。これこそがまさしく、今日のモダニティが置かれた状況であり、その課題なのだということができよう。これにかかわるデザインの選択肢は、産業革命的な近代化と公共事業の復活であろうか。モダニズム的な前衛主義だろうか、それとも消費社会的なブランドサバイバルか。もしくはその反動としての原理主義ないしは親密圏の絶対化であろうか。いずれにせよ、そうした選択に希望を託すことは難しい。さまざまな時代のうちで経験を重ね、多様な形態をとってきた近代性の原理は、そして芸術工学は、今日どのようなかたちで再生可能なのだろう。
 それぞれの記号には、それを位置づけ運営する記号の運営システムがそれぞれ独立したかたちで存在している。たとえば教師としての私には私を教師として位置づけそれを運営する学校システムが対応し、介護する私には社会福祉のシステムが対応するといった具合である。このシステムはそれぞれ独立して展開しうるがゆえに、ときにそれは人格的・社会的統合の次元を通過したまま、むしろそれを解体するかたちで人間の精神と身体を脅かしてくる。たとえば親の介護にとらわれて時間を無制限に拘束されれば、教師という記号システムと葛藤が生じる。何百万円ものオーディオ機器を購入するために消費者金融に手を出せば、ローンシステムと齟齬を来し私は住居を失うだろう。私は様々なシステムを調整・統合し、私という人格システム、私という物語を総合的に立ち上げ、維持しなければならない(人格的統合)。そして同時に、人格形成を図る中で他者と結びつき、社会の物語を形成し維持していく必要がある(社会的統合)。
 消費社会が全面化した後では、すべての記号的要素を市場の流通に任せるばかりで人格的・社会的統合を無視するならば、それは社会の砂漠化をよりいっそう推進する先鋭的な道行きとなるだろう。だが、統合に結びつく「健全」なあり方に記号的要素を強力に制限するとすれば、それはきわめて反動的・原理主義的な色彩を帯びてくると思われる。社会の学校化・教会化を推し進める反動的な道行きであろう。とすれば新たな可能性は、記号アイテムによる社会の砂漠化をたんに承認してそれに追従する(虚構的解体)ことでもなければ、その反動として概念テクストによる真理や正義の原理主義的な追求(現実的統合)に復古することでもない。同様に、そこに展望される合理性は、人格的・社会的統合というヒューマニズムの理念を全面的に否定するのでもなければ、それを復古的に回顧することもない、そうした両義的な記号戦略を必然的にとることになる。それはいうなれば現実的な解体戦略、虚構的な統合戦略とでもいうべきものとなろう。換言すれば、記号的で虚構的な連関の中に複数的な現実性を仮想的(ヴァーチュアル)に形成することといってもいい。
 たとえば最近話題となったソフトバンクの「お父さん」CMを例に取り上げてみよう。そこでは「犬」に変身してしまった父親を中心に「家族」のふれあいが描かれている。それはそういう意味では近代化の血縁家族主義に沿うものといえる。その家族の「お父さん」と母親はともども学校の教員(とりわけ母親は校長)であり、近代化を象徴している。しかしその家族は、飯島愛を歌舞伎町に追いやった強迫的な世間体をあまり感じさせない。
 これが現実的な解体戦略であるのは、現実の血縁家族主義がもはや抑圧と化したなかで、お父さんがあるとき「犬」に変身することで、リアルな家族を散乱させてフィクションにしてしまったためである。きっとお兄さんも、飯島愛と同じようにあまりに平凡な家族がいやになったと思われる。「黒人」に変身することなくしては、やっていけなくなったに違いあるまい。自らを記号化し「変身」して、重苦しい現実から脱走するのである。
 この事例が虚構的な統合戦略であるのは、それが虚構であることがわかっていながらも、理想的な「家族」という役割を人々が儀式的に演じ続けているからである。モダニズムぱ儀式を装飾として否定した。しかし儀式は今日、根拠なき虚構を人々がともに営むことを確認する重要で実質的な機能を担っている。それは虚構としてのプログラム(シミュレーション)に参加するパスワードと言ってもいい。装飾、儀式、演技を虚構と非難するのではなく、虚構の物語の中で、各人はプレイし、それなりに楽しくやっていく。
 「犬」や「黒人」と家族する。その集団は、相互に持続的な関係と連続した物語を運営しようと意志する記号たちからなり、それ自身、「家族」というシミュレーションシステムを構成する。飯島愛もまた、家出して「変身」したあと、ふたたび家族の元に帰り、ひととき関係を修復する。切断と散乱の後、家族を虚構化して、ふたたび統合を図るのである。その戦略に成功していれば彼女はあるいは死なずに済んだのかもしれない。
 以上のように、現実的散乱化と虚構的統合化がクロスするところにこそ、これからのデザインの、つまりモノづくりとコトづくりの可能性があると考える。これはたとえば遺産や地域のデザインのこれからの考え方を導き得るものといえる。たとえば遺産を学術的に研究し、真理の理念の下でそれをアカデミックに復元したとする。しかしそれは同時に、「本物の遺産」という「おはなし」として演出され、その地域住民のアイデンティティ形成の核となる。そのアイデンティティの中には、真理の要素と虚構の要素が複雑に入り交じっている。もし「本物の遺産」をたんに真理化しようとすれば、それにそぐわない地域の生活要素はすべて虚偽とされ、排撃の対象となってしまう。遺産原理主義である。これとは対照的に、すべてを観光資本の必要に応じて遺産資源を記号化し切り売りすれば、住民の生活はそのときどきの市場の要求によってバラバラにされてしまう。遺産消費主義である。重要なのは、「本物の遺産」なるものを記号化し、そこで形成された「真理」の物語を住民が様々に解釈し、その解釈の複数的なありさまのなかで、ともにその物語を育成してみようとプレイする姿勢である。そして周りも、そのようにして形成された物語を尊重し、その一要素、物語の登場人物となるために観光に出かける。外部の人々も「おはなし」に「乗ってみる」のである。そうすることでその「おはなし」は、その解釈的複数性の中で豊かに紡がれていくかもしれない。
 新しいフィクションを複数的に形成する可能性について、さらに iPod を考えてみよう。 iPod の魅力は、それがたんに音楽を再生する手段であるだけでなく、音楽を聴くコンテクスト(生活のシーン)について様々な構想力をかき立てるところにある。たとえば自分が所持しているクロスバイクとともに通勤の途上で、その音楽を通勤の風景にあわせて編集する。さらにその楽曲のシリーズを誰かと交換するという可能性を感じさせてくれる。それは、職場やお気に入りの持物、フィットネスといった、私を取り巻く記号たちをうまく編集して、生活のなかに新しい現実性を作り上げてくれる可能性である。その現実性とは、記号たちによってフィクションとして構成される物語にほかならない。そしてそうした物語のシーンがイメージされるとき、さらにそこからまた別の物語の可能性が予感され、開かれていく。つまり iPod は、そうした様々なコンテクストを収束させ、散乱させる結節点として機能するのであり、そうした複数の虚構的な文脈の成立可能性こそが、 iPod の「魅力」だといえる。
 もう1つ、車いす存在論について考えてみよう。近代化において車いすは、独力で移動できない「障害」を負った人たちを動かすたんなる補助手段であった。モダニズムにおいて車いすは、抑圧された「障害者」を解放する正義と真理の低価格ツールだったことだろう。消費社会においてそれは、おしゃれで高級なドイツ製ブランドだったかもしれない。しかし未来の車いすは、様々な物語を我が身に引き受ける1つのアクター、つまりいわば1人の俳優の位置を占めるものといえる。それは移動障害の機能欠損を補いつつ、ユニバーサルデザインの理念の象徴であり、それぞれの利用者の感性と個性を表すカラーリングと素材が随時選択可能なアレンジメントでもあり、電動や手動などのさまざまな動力を選択可能であり、パソコンや電話などのモバイル通信機器の端末であり、鉄道や自動車、航空機などとの有機的接続連携の要素であり、ホームヘルパーや公共福祉政策、自治体財政といった別の機械とも接続されている。そうした様々なコンテクストの集積点として、つまり様々な物語を創造し展開する1つの要素機械として、それは機能しうるのである。
 そして人間や個人をも、そうした要素機械と見なすこともできそうである。機械といえば、それを近代化の文脈で理解する傾向がある。つまり特定の目的に奉仕する単純な手段としてそれを解釈しがちだといえる。しかし現代の機械は、みずからの目的(機能)をそれ以外の機械との接続の中で不断に組みえていくアレンジメントなのであり、そうすることで自ら物語をつむぐ複数的な可能性を身に帯びるものである。そうした潜在的な多数の物語の可能性を喚起する要素機械、そうした人間と機械群のデザインが、今日求められているのではないだろうか。そういうアイテムは。消費社会の中で表現手段を奪われた存在に対し、それとコミュニケートし、物語をともに構成するためのインターフェイスとして機能するであろう。高齢者、病気や障害を持つ人、貧困者、異文化、動植物、未来世代など、消費社会において顧みられない「むき出しの生」として放置された存在に対して、なおそうした存在と共に生きうるフィクショナルな物語を、その場その場の必要と可能性に応じて考案し、創出し、改作すること、そうしたデザインが、2010年代の可能性となるであろう。
 モダンデザインは、そして芸術工学は、その出自であるモダニズムから、様々なものを引き継いでいる。目的に従属させられ、たんに手段化された素材を解放し、それを新しい連関へともたらし、その機能を再生することがそれである。ここでその新しい連関は、がってのモダニズムがそう主張したように、進歩のプログラムによってあらかじめ定められた唯一のものではない。それは、今や様々な物語の可能性として、たんなる有用性を超えた生きる目的そのものとして、人々の自由な編集と改作の可能性に開かれている。虚構は、今までのように生きてゆかなければならないその反復を打ち破り、異なった生を営むことを望む要素機械たちが共存しうる可能性として、人々の想像力によって紡がれていく。虚構をともに生きることによって形成される社会的現実は、単線的進歩とは異なった、数限りない輻輳する糸によって編み込まれていく。数多くのひとの共存の可能性を繋ぐ絆であるからこそ、その糸によって編み込まれた社会は強いといえよう。統一した指導部によって指導されるものではない、そうした複数的現実を構成する任務は、依然として、デザインに課されている。
 ハンナ・アレントは、既成の自己規定からの解放として自己のアイデンティティを定義した。そこでアイデンティティは、私は何々です、という既存の規定を乗り越えるものだと主張された。しかし今日のモダニティは、その「乗り越え」を「乗り越えられるかもしれないもの」として留保する。規定性はたんに乗り越えられるのではなく、可能性ないしは虚構性として維持される。私のアイデンティティは、複数の可能的コンテクストへの開かれの中で、構想された「おはなし」として、しかし当面はそれを生き抜いてみざるをえない必然性として与えられている。動的に変容しつつあるとしても自分にとって切実なもの、当面の私にとってベストなフィクション、そうしたパスを探すところに、自己同一性が仮構的に息づく。私はそれをあえて、フィクショナルな設計、虚構的デザインと呼んでみたい気がする。


参考年表

戦後民主主義と近代化
1945年 敗戦
1946年 黒澤明「わが青春に悔いなし」
1955-1973 高度経済成長
1956年 水俣病公式確認
1959年 60年安保闘争


モダ二ズム
1965年, グリーンパーク『近代芸術と文化』翻訳
1968年 九州芸術工科大学開学
1969年 東大安田講堂事件
1970年 日本赤軍よど号ハイジャック事件
1972年 連合赤軍山岳ベース事件
1973年 熊本水俣病・一審勝訴判決


ポストモダニズム、消費社会化
1970年 anan創刊(平凡出版)
1974年 フーコー『言葉と物』翻訳(原著1966)
1977年 フーコー『監獄の誕生』翻訳(原著1975)
1983年 DCブランドブーム
1985年 プラザ合意(バブルの引き金)
1987年 国鉄分割民営化
1988年 ペレストロイカ開始


ロスト・ジェネレーション、むき出しの生
1992年ごろ バブル崩壊
1995年 地下鉄サリン事件、「新世紀エヴァングリオン」放映
2000年 飯島愛プラトニックセックス』出版
2001年 小泉内閣成立(2006年まで)、9. 11同時多発テロ
2003年 イラク戦争
2004年 改正労働者派遣法(製造業派遣解禁)
2008年 秋葉原通り魔事件


参考文献

アレント,人間の条件,筑摩書房, 1994
フーコー,監獄の誕生,新潮社, 1977
樺美智子,人しれず微笑まん,三一書房, 1960
フーコ―, 言葉と物,新潮社, 1974
マクルーハン,メディア論,みすず書房, 1987
石牟礼道子苦海浄土講談社, 1969
飯島愛プラトニックセックス,小学館,2000
ボードリヤール,象徴交換と死,筑摩暦房, 1992
宇野常寛ゼロ年代の想像力,早川丼房, 2008