自律と疎外の構造──モダ二ズム芸術論の再編成へ向けて──外山紀久子

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 『モダンの五つの顔』の著者マテイ・カリネスク*1によれば、「モダ二ズム」という語は英語圏では1900年から1920年頃にかけて批評用語としての芸術的文学的概念を獲得し*2「1927年、ローラ・ライディングとロバート・クレーヴスが共著『モダ二スト詩概観』を出版したころには、この用語は──いまだ広く論争の余地を残しながらも──意味のある文学的範躊として確立していたにちがいない」と推察される。その『モダ二スト詩概観』で主要な論点となっているのは、既成の詩的伝統からの積極的逸脱、とりわけ、「モダ二ストの詩は普通の読者になぜ人気がないか」という章のタイトルが示すように、それが平均的読者に示す難解さであり、一般読者の常識的な基準から乖離しているという特徴が注目されている*3。伝統からの意識的積極的逸脱としてのモダ二ズム、およびその結果としての大衆からの疎外・「不人気」という観察は、1925年のオルテガ・イ・ガセットの論考「芸術の脱人間化」*4とも一致する。オルテガは、「新芸術の不人気性」という見出しを付けた最初の節において、モダンな芸術は「本質的に不人気──さらに言えば反人気〔反大衆的〕である」と言明するのである*5。先行するロマン主義の芸術が大衆の支持を獲得した最初の芸術であったのに対し、モダンの芸術は一部の限られたエリートにのみ理解される。「新しい芸術はロマン主義がそうしたように万人に向かおうとはしないで、特に恵まれた少数者に向かう。それゆえに一般大衆の間に憤慨をひきおこす」*6。少数者のための「特権的貴族階級の芸術*7」という意識はしばしば創り手の側にも明示的に表われてくる。ダイアン・クレーンが引用しているアドルフ・ゴットリープの「誰のための芸術か?」という問いに対する解答は、一個の典型例であろう。「それ〔芸術〕は芸術や文学の教育を受けたごく少数の特別な人々のためのものだ。芸術は万人のためにあるといった考えは御免こうむりたい。それは万人向きではない。いつでもより多くの人々に訴えるような芸術ということが問題にされる。なぜそれ程大勢の人間に訴えたいと思うのかわからない。多くの人々にとっては芸術以外にもっと心を惹かれるものがある。平均的な人間は芸術なしに生きていけるのだ」*8
 「平均的な人間」を排除する態度──おそらくモダ二ズムの芸術の最大の特徴のひとつはこの社会一般との疎隔(敵対関係ないしは相互無関心)であろう。基本的に、アカデミズムにも大衆にも理解されない新興の芸術活動を擁護し正当化しようとするアポロギアの係争性をモダ二ズムの著述はもっている。殊に同時代の芸術の裁定が求められていた「批評」という性質がこの傾向を助長したと言えるかもしれない*9。彼らに共通する論理は、芸術が芸術外のものから絶縁し「純粋な」自己を回復しなければならないという主張である。外界の再現を放棄し、各々の芸術の表現媒体に固有の権能の内部に留まることによって。「純粋音楽」 「純粋絵画」 「純粋詩」が成立するという。その結果平均的知性にとってはなじみのない、「脱人間化された」、固有の内在的論理によって展開する「自律した」芸術空間が措定される。こうして自律と疎外は、相即不離の構造を伴ってモダ二ズム論の基底に見え隠れするのである。
 1930年代後半以降、アルフレッド・バー*10マイケル・フリード*11クレメント・グリーンバーグらによって提示された芸術およびジャンルの自律を提唱するこのような反ミメーシスの批評(フォーマリスト批評)が、少なくとも英米系モダ二ズム理論のカノンを構成してきた*12。 一方で特に70年代から、この主流派のカノンに対する批判や見直しが顕著になり、さまざまな角度からモダ二ズムの芸術理論を再編成しようとする動きが形成されている*13。本論では、従来モダニズムの公理から継子扱いされてきたアヴァンギャルドの芸術論(およびその裏面としての大衆文化論)における自律美学の見直しという観点に着目する。とりわけ「自律」が「疎外」の別名となったモダニズム芸術理念のアポリア、さらにそこに潜伏するヒエラルキー的思考の枠組といった問題に照明が当てられる。その過程で芸術におけるモダニズムを構成するふたつの契機が顕在化してくるであろう。第一に、形式主義批評によって規範化された、芸術の自律、「高級芸術」の擁護、媒体の純化を説く、内向きのモダニズム。自己の純粋化を実現する、すなわち自己を他から区別して定義付けようとするという意味における自己批判性、自己言及性、「外」から切り離された状態でひたすら内部に向かう運動である。第二に、芸術の自律性(という名目のもとにおける社会からの疎隔)に反対し、芸術の定義(という名の囲い込み)を破壊し、その制度的な枠の外に出ていこうとする、外向きのモダニズム*14特に本論では第二の契機、「外向きのモダ二ズム」の位置に焦点を合わせ、そこで、第一の契機にもっぱら重点を置いてきたフォーマリスト達のようにこの契機を取るに足らない傍流の現象として無視するのではなく、といって「内向きのモダ二ズム」の次に「外向きのモダ二ズム」が(内在的な論理の必然に従って)現れこれにとって代わった、として1個の線的展開の図式を描いてみせるのでもなく、先ず両者の、一方が他に解消されないふたつの異なる原理の併存を認めることから始めてみたい。そしてこの二契機の展開が、「未完のプロジェクト*15」であるモダ二ズムの(少なくとも部分的な)対象化と共に生起してきた──ポストモダンと呼ばれることもある──現在の状況と、どのような連関を示しているのかについて考える端緒としたい。


モダニズムアヴァンギャルド

 モダ二ズム理論の規範を形成した、と言われる「媒体」中心・反ミメーシスのフォーマリスト批評は、19世紀後半、クールベボードレール以後の芸術の主潮流を「諸芸術の自律の完成」へ向かう動きとして説明し正当化しようとした。そのような近代芸術解釈にあっては、伝統的な再現のコードからの解放としての抽象芸術の成立ないし「形式の内容化」という側面が強調される一方で、その枠組に納まらない芸術実践を傍流・逸脱として軽視する傾向が強い。なかでもダダやシュールレアリズムに代表される。「歴史的アヴァンギャルド」と一括して呼ばれることもある、今世紀初頭のヨーロッパの先鋭的芸術活動に対しては常に一種の折り合いの悪さを示している。T・J・クラークはこの点を指摘して、「モダ二ズムの著述家はその20世紀芸術の解説からダダや初期のシュールレアリズムの真の衝撃力を締め出し得々としている。アルプやミロやポロックといったその深刻な影響を受けた芸術家には重きを置いている一方で」*16とモダ二ズム理論家の偏向を批判する。彼は「殊に1910年から1930年の間の時期の扱いにおいてモダ二ズムの美術史は不適合」であり、この時期芸術は(パリという)中心を失って対立する複数の芸術実践が現れ、(モダ二ズム的な)芸術の自律性や限界が問い直される状況が生起していたことに我々の注意を喚起しようとする*17
 アヴァンギャルド芸術に関する古典的研究として筆頭にあがるのはレナート・ポッジョーリの『アヴァンギャルドの理論』(1962)*18であろう。ポッジョーリによれば、「現代文化の最も典型的で最も重要な現象の1つ、いわゆるアヴァンギャルド芸術を、わざわざ研究しようとした思想家、歴史学者、批評家は、これまでのところほとんど見あたらない」*19この著作のなかで彼はさまざまな観点から(行動主義、敵対主義、非大衆性、反過去主義、未来主義、ニヒリズムアゴニズム・・・)アヴァンギャルドの特質を分析しているが、その基本的な位置付けにおいてはアヴァンギャルドの起源をロマン主義文化のうちに求め、ロマン主義との歴史的連続性を浮き彫りにしようとする点が特徴的である*20。そこでアヴァンギャルドロマン主義の連続性ではなく、両者の対立を強調するオルテガロマン主義芸術に対する見解が批判される。オルテガ*21当時の革新的な芸術が「本質的に不人気・反大衆的」であるのに対しロマン主義はたちまち「民衆」を征服したという対比を立てているが、ポッジョーリによれば、往々ロマン主義の民衆的嗜好やネオ・プリミティヴィズムから想起される「ロマン主義と一般大衆の関係」は幻想にすぎない。ロマン主義が「民主主義の長男」であり「民衆的」思想であるという理念上の事実はそれが常に民主的にふるまう芸術であるということを意味しない。「人民の、人民による政府を創設するのは、小数派の仕事である。新しい芸術であるという事実だけで、ロマン主義は後のアヴァンギャルドと同じ位貴族主義的であった。(中略)貴族的風土に開花した古典主義芸術の場合と違って、ロマン主義の芸術とアヴァンギャルド芸術は、デモクラシーの時代、あるいは少なくともデマゴギーの時代になお存続し生き残る貴族社会である。この事実は、ロマン主義芸術をアヴァンギャルド芸術から区別する社会学的な差異が、ただ単に程度の相違に過ぎないということを充分に示しているのである」*22
 このようにロマン主義アヴァンギャルドの違いが「程度の差」であるとされるとき、またさらに、アヴァンギャルドのなかに、〈芸術のための芸術〉主義、高踏派、ラファエル前派、デカダンスサンボリスムといった唯美主義の諸流派が包括されてくるような場合*23アヴァンギャルドとモダ二ズムの区別は一層判然としなくなる。本書の英訳が出た際、現に、「ポッジョーリ教授は、アヴァンギャルドということばによって。われわれの多くがモダ二ズムによって意味するものを表している」という書評が登場した*24。従って、ヨヒェン・シュルテ・サッセの以下の指摘は至極妥当なものと思われる。「ポッジョーリの〈理論〉は、せいぜいのところ、19世紀半ば以来の、またおそらくゲーテワーズワース以来の、芸術生産の基本的な諸特徴を説明するモダ二ズムの理論である。彼の本はロマン主義とモダ二ズムの間の質的な(つまり量的なだけでない)違いを決定することができないという弱点をもつ。もっとも、モダ二ズムとアヴァンギャルドをイコールとみなす──そして両方を「モダ二ズム」のラベルのもとに包摂するという傾向において、ポッジョーリはアングロアメリカ系の伝統の典型を示しているのである」*25
 これに対しカリネスクは、「20世紀のはとんどのアメリカ人批評家がモダ二ズムとアヴァンギャルドとを実質的に区別しなかったという事実」を念頭に置いて*26、ヨーロッパにおける両概念の異なった成立ちに注意を向ける。ヨーロッパ諸国では、アヴァンギャルドは、「普遍的かつヒステリカルな否定感覚」を特徴とする「芸術的否定主義──芸術そのものがまず最初に犠牲となる──のもっとも過激な形態」であり、〈芸術のための芸術〉を護持するモダ二ズムの範躊に吸収されるような概念ではない。「〈みずからに抵抗する伝統〉として定義されたモダンがアヴァンギャルドを可能にしたことは事実である。しかし、アヴァンギャルドの否定的な過激主義と体系的な反美学主義が、偉大なモダニストたちによって試みられた世界の芸術的再構築に対する余地を残さないことも、同様に事実なのである」*27。すなわち「伝統の破壊」というモダ二ズムのプログラムが自己破壊ヘ──「芸術の死の美学」*28の遂行へと転化する、その過程でアヴァンギャルドは、自律的世界の擁護を企図するモダ二ズムからはっきり訣別するというのである。
 このような区別を一層鮮明に図式化してみせるのがペーター・ビュルガーの『アヴァンギャルドの理論』(1974)*29である。ビュルガーは狭義のアヴァンギャルドすなわち「歴史的アヴァンギャルド*30に焦点を当てている点で、ポッジョーリやカリネスクの包括的なアプローチと好対照をなす。そして、アヴァンギャルドの否定性は単に「芸術の自殺」という隠喩で尽くされるものではなく、19世紀末に〈唯美主義〉( Aestheticism )ないし〈芸術のための芸術〉として、一個の自律した領域として自己を確立した、市民社会固有の「芸術制度」、その制度そのものへの攻撃として捉えなければならないと論じられる。
 ここで先ず、ビュルガーによる〈唯美主義〉の規定は、グリーンバークによるフォーマリスト的なモダ二ズムのそれと一致していることに意を払いたい。〈唯美主義〉は芸術が一切の政治的連係から離れ「芸術以外のなにものでもあろうと欲しない」段階を指し、そこでは芸術の創り手が「ますます媒体そのものに意識を集中するため、内容的主題設定は影が薄くなる」*31。従って制度批判の運動としてのアヴァンギャルドは、そのようなモダ二ズムの展開に媒介されて明白となった「市民社会における芸術の発展原理」や機能・地位そのものに向けられた反省と言い換えてもよい。「19世紀の唯美主義において芸術が完全に生の実践的連関から自らを解き放った後にはじめて、美的なものが〈純粋に〉展開することができたのである。しかし同時に、自律性の裏面である社会的無帰結性〔芸術が社会的インパクトをもたないということ〕がはっきりと認識可能となる。芸術を生活実践のなかへと取り戻すことを目指したアヴァンギャルドの抗議は、自律性と無帰結性の関係を暴いてみせる」*32。「歴史的アヴァンギャルドの運動とともに、芸術という社会的サブシステムは自己批判の段階に入る」、「芸術の発展過程の全体像は、自己批判の段階においてはじめて明らかになる」のである*33。「社会的無帰結性」すなわち「生の実践」という地平からの切断は、芸術の「純化」・「自律性」の確保というモダ二ズムによって推進されてきたプログラムに相即不離のアポリアであるということ──「自律」は「疎外」の別名であるという事態──が市民社会における芸術制度の基底として明瞭に意識される。このとき芸術は、ビュルガーによれば、そのような(=切り離され、自足し、外界に関与しない)自らの存在性格を決定するフレームとして働いている制度自体の否定というアヴァンギャルドの位相に達するのである*34
 アヴァンギャルドの活動における芸術の「自己批判」は、グリーンバークが唱えたモダ二ズム芸術の「自己批判」とは正反対の方向を取ることになる。モダ二ズムが再現性の拒否と媒体の前景化に携わるのは、芸術を芸術以外のものから切り離し、それによってその芸術外在的脅威(キッチュの、あるいはプロパガンダ的御用芸術の)の手に届かない自律的領域に芸術を「隠棲」させるためであったが*35、「アヴァンギャルドの芸術家たちの志向は、唯美主義が発展させた美的経験(生活実践に対立する経験)を、実践的なものの方へ向け直す試みとして規定してよいであろう。市民社会における手段/目的連関の合理性と最も相容れないものこそが、生を組織する新たな構成原理とならなければならないのである」*36。「生の実践から引き離された活動としての芸術の清算*37を意図したアヴァンギャルドは、モダニズムによって一旦切り離された「生」と「芸術」の絆を再び取り戻そうとする衝動として説明されるのである*38。共に近現代における芸術の自己反射性の展開でありながら、従ってしばしば概念上混同されることもありながら、モダ二ズムとアヴァンギャルドは「生」に対する距離の取り方を基軸として逆向きの方向を指向するという拮抗した関係を互いに結んでいる。


Ⅱ「アヴァンギャルドの失敗」

「歴史的アヴァンギャルド運動は、自律的芸術にとって本質的な規定条件を否定する。すなわち、芸術と生活実践の離反を、個人による生産を、そしてこの生産から分け隔てられた形での個人による受容を、否定するのである。アヴァンギャルドは、芸術は生活実践に組み入れられなければならないという意味において、自律的芸術の撤廃を企図する」*39。ところが、ビュルガーの裁定に従えば、生と芸術の境を取り払い両者の革新を欲したこのようなアヴァンギャルドの試みは「失敗」に終った。デュシャンの「レディーメイド」に代表される極端な制度批判の後も、(個人的生産+個人的受容による)芸術および芸術作品というカテゴリーは消滅しなかった──「アヴァンギャルド運動が芸術作品の生産に終止符を打ったわけではないということ、芸術という社会的制度はアヴァンギャルドの攻撃に対して抵抗力のあることが証明されたこと、これはひとつの歴史的事実である」*40。そして、畢竟アヴァンギャルドの理想は、少なくとも市民社会においては、「自律的芸術の偽りの止揚」という形態以外によっては不可能であったと結論される*41。すなわち、「娯楽文学」や「商品美学」のように、一定の消費態度を強いる大衆操作の手段であり、解放ではなくむしろ隷属化の機能を有する「実践的な」応用芸術という形態である。従って「後期資本主義社会にあっては、歴史的アヴァンギャルドの運動の意図は実現されはするものの、その結果は価値否認であった」*42ということになる。
 アヴァンギャルドの挫折の結末が明瞭に見てとれるのは商業主義と結び付いた大衆文化の場面に限られない。今世紀を通じて社会的制度としての芸術が歴史的に証示してきたと言われる「抵抗力」・自己回復力の大きさは、「アヴァンギャルドの制度化」、すなわち、反芸術の再芸術化が生起した時点においてこそ疑い得ないものとなる。例えば、” objet trouvé ”(個人によって制作されたのではない、偶然によって発見されたオブジェ)が1個の自律的作品として受容されるように作品概念が拡大修正され、ダダ的なイヴェントの反芸術的精神を継承するはずのハプニングのような試みも破壊的なショック作用を失って「作品性格を帯びる芸術的マニフェステーション」*43と化してしまう。このことを確認してビュルガーは、「ポストアヴァンギャルド」の段階におけるアヴァンギャルドの不可能性について次のように論じる。「ポストアヴァンギャルドの段階を特徴づけるのは、それが作品というカテゴリーを復活したという点、およびアヴァンギャルドによって反芸術の意図をもって創出された手続きが、芸術的目的に用いられるという点てある」*44。 「アヴァンギャルドの芸術家が芸術の止揚をもたらすことを望んで用いた手段の数々が芸術作品というステータスを獲得してしまっている限りにおいて、生の実践を更新しようとする要求がもはやそのような手段の採用と真正な形で結び付くことはありえない」*45。従って芸術という制度の枠機能──そのなかに入るものに自律性のステータスを付与する──がいわば攻撃されることによって一層強化されたという事態の認識がアヴァンギャルドの挫折の内実となるのである。
 このような認識に加えて、あらゆる表現手法・様式の自由素材化がアヴァンギャルド運動のもうひとつの帰結としてあげられている。アヴァンギャルドが掲げていた伝続からの断絶、実験主義的試みの反復を経て、個々の手法やスタイルは脱歴史化・脱文脈化されて芸術表現上の平等な手段となる。「アヴァンギャルド運動を通して、諸々の手法や様式の歴史的継起は根本的に異なったもの同士の同時性に変容してしまった」*46。その結果、いかなる特定の美的規範もその規範としての妥当性の根拠を失う。(例えば、レアリスムよりも抽象のほうがより「芸術の王道」*47に近い、あるいはより「新しい」、といったような主張は意味をなさなくなる。)「歴史的アヴァンギャルド運動は、たしかに制度としての芸術を破壊することはできなかった。しかしながら、ある特定の流派が普遍的妥当性の要求を携えて自己を提示する可能性を破壊しはした」。「歴史的アヴァンギャルド運動により惹き起こされた芸術の歴史における断絶の意味は、制度としての芸術の破壊にあるのではなく、美的規範を有効なものとして措定する可能性を破壊したことにある」*48
 ビュルガーが描き出すこのような「ポストアヴァンギャルドの段階」はカリネスクによって、やはり「アヴァンギャルドの死」 「アヴァンギャルドアポリア」、文化的概念としてのアヴァンギャルドの内的矛盾の顕在化として観察されている。1950年代/60年代にアヴァンギャルドは「文化的神話」のひとつとなり、「その攻撃的、侮辱的なレトリックは、ただ痛快なものと見なされるようになり、その黙示録的な抗議の数々は、心地よく無害な常套句へと変化した。皮肉にも、アヴァンギャルドは、途方もない、思いもかけぬ成功によってこそ失敗を経験したのだ」*49アヴァンギャルドクリシェとなり。かつての野性の獣が家畜化し(というか、家畜に見えるようになり)、一般大衆の水準に普及したというのである。同時に、「きわめて多様な芸術作品が(難解なまでに洗練されたものからまったくのキッチュに至るまで)、〈文化のスーパーマーケット〉(マルローの〈想像の美術館〉に皮肉にも一致する観念)で、それぞれの消費者を隣りあって待っている。どれも端的役割をじっさいには演じられず、相互に排除しあう複数の美学が、いわば手づまりの状態で共存している」*50という、多様な既成の表現様式がヒエラルキー不在のまま(互いに対等な/一が他に優越する規範となることのない素材・手段・あるいは消費の対象として)併存する。このような状況をカリネスクは「モダンの新しい顔」、ポストモダンと見なす。アヴァンギャルドが無効となり、不可能となる環境、そこでは最も過激な反芸術の試みさえたちどころに芸術として認定されるよう、常に芸術は自己を拡大しており、アヴァンギャルド的な意図に駆られて「外」を志向する動きもこのシステムの巧妙な拡大運動に余りにも容易に追い付かれてしまう。「新と旧、構築と破壊、美と醜は、相対化を通じて、ほとんど無意味な範躊になった。芸術と反芸術(後者の概念は、ダダイストの論的な意味で解釈されているばかりでなく、キッチュのじつに多様な製品をも指し示す)は、混同してしまった」*51


モダニズムのふたつの契機

「唯美主義における自律美学としての芸術という制度の展開」が完了し(19世紀末)、これに応答して「反制度としてのアヴァンギャルド運動」が出現(20世紀初頭)、さらにその帰結として一切が許容される「ポストアヴァンギャルド」の状況に入った、というビュルガーの図式は明快であり、芸術の自律性という命法の批判ないし観念論的美学の拒否と解釈されることによってアヴァンギャルドがいわばモダ二ズムとポストモダ二ズ無の両項を媒介する位置を占めるその芸術史的分断には説得力がある。しかしながらそのような明快な線的発展の図式は、芸術という領域を歴史的・社会的コンテキストから独立させ固有の力学に従って進んでいく実体のようにとらえてしまう嫌いがあるというのもまた事実である。ラッセル・バーマンはビュルガーの方法についてこの点を批判して、それが「一種の拡大された内在批評」であり、世紀の変り目における経済・政治状況の変化といった社会全体のより広範なコンテキストに関する言及なしに、芸術という制度の展開を既に「(相対的に)自律した」領域として、その内的論理の運動の軌跡として分析していると指摘する*52
 そこでバーマンは、自律性のプログラムが完了し成功した後に、これに対する批判的応答として歴史的アヴァンギャルドが登場したという段階論的・通時的図式を廃し、むしろ芸術環境の共時的な構造、その成素の切り出しと成素間の相互関係、とりわけ「美的自律性のブルジョワ文化とアヴァンギャルドとの間の弁証法的な連続性」*53を分析の中心に据えようと試みる。ビュルガーの図式では、あたかも唯美主義による自律美学の規範が単独で19世紀末の優勢なパラダイムとしての位置を占有していたかのように語られ、同時併存的・相互規定的な当時の他の諸傾向が捨象されてしまうが、「図」の変化は常に「地」の変化を伴いまだそれを前提にするのである。「近代の高級文化、自律性の美学は、芸術を教会や国家の直接的コントロールから解放する。と同時にこの芸術の新しい領分を大衆文化や自然の経験から区別する。このような。引立て役となる後景の存在、それに背を向けてあることによって芸術が自己を定義することができ、またそこから芸術が実質的な力を引き出すことができる否定性の領域、それはブルジョワ的制度の構築において決定的な成素であった。この制度の危機を、自律化過程の完了という言い方で記述するよりも、むしろ資本主義による近代化の一帰結として、否定的資源──大衆の伝統と自然──が侵食されたことの方を銘記しなければならない。……かつての自然的なものという地位を失い、人為的操作の舞台となった大衆文化という次元は、もはや芸術に外在するものとは見なされない。丁度、ブルジョワ社会の初期段階にあっては文化の対立項であった自然が産業開発の普遍的対象に化してしまったのと同じような経過である。こうして、ブルジョワ芸術の二律背反的先決条件、ブルジョワ芸術がそれに依存して定義され制度化された先決条件の基盤が、ブルジョワ経済の進歩によって切り崩されてきたのであり、。その結果として、自律的なブルジョワ芸術の自己同一性なるものもますます不安定になるわけである」*54。伝統的な大衆文化( low の領域)や自然(反文化)との対比において自己を確認してきた──差異によって実体性の外観を確保していた自律的芸術( high の文化)は、産業社会の進展のもたらすその対立諸項の変化に伴って自らも変ることを余儀なくされるのであって。1個の閉じた(「自律した」)体系の内在的論理の展開として変化が起こるわけではない、という主張である。「高級芸術と低級芸術の対照も、文化と自然の差異も維持できない以上は、ブルジョワの芸術制度の構築はもはや説得力をもたないのである」*55。そこから、アヴァンギャルドによる文化の再編成は、「芸術の領域にそれまでは除外されていた領域を統合すること」によって、すなわち「大衆文化」や「自然」を「高級文化」の領域に導入することによって旧い境界線に明確な「否」を突き付け、それがかつてのモダ二ズム的な「高級芸術」の囲い込み( closure )とは対立する方向を取ったという状況として把束される。アヴァンギャルドは、自律性追求文化の基盤の動揺、それに伴う差異やヒエラルキーの無効化という、既に社会全体として進行していた事態に表現を与えた運動であったということになる。
 ただし「地」の変化が常に「図」のあり方を一義的に決定するというわけではない。確かに「高級文化と自律性」に支えられたモダ二ズム芸術の自己規定を可能としたその基盤(「先決条件」)は、バーマンの論ずる通り近代化過程において漸次解体し、アヴァンギャルドによるその「危機」の表現が突出してきた。しかしながらその一方で、じつはファサードは一段と強固に保たれてきたのではないか? 歴史的アヴァンギャルドの攻撃・文化再編成のための闘いをもってしても芸術という制度は生き残った──むしろ攻撃されることによってそのつど一層強固な体系として自己を作りかえてきた。従って、20世紀芸術の見取図をあたかもそれを取り巻く諸条件への因果論的応答によって確定されているかのように記述することはできないであろう。自律的芸術という(既に脅かされていた)理念に対し、これを堅持しようとする動き(モダ二ズム)と逆にこれを突き崩そうとする動き(アヴァンギャルド)とが連動し合って同時に存在していたというバーマンの認識は、この問題を考えるための出発点として有効である。モダ二ズムの一段階(唯美主義)が終了し、それに対する反動としてアヴァンギャルドが始まった(ビュルガー)のではなく、自律性を追求する動き(モダ二ズム)もこれを否定する動き(アヴァンギャルド)も共にそれらが根をおろしている同一の社会的コンテキストの別様の表現として併存していた。このように考えることによって、モダ二ズムとアヴァンギャルドを19世紀後半以降の現代文化の2つの契機として捉え直し、この2つの契機の同根性と相違に由来する一種の緊張関係の内にモダ二ズム全般の歴史を再解釈する視点が開けてくる。
 このような二契機として捉えられる場合のモダ二ズムとアヴァンギャルドの対比は、トマス・クローによって両用語間の齟齬の形で以下のように指摘される。「両方の語の間にはある緊張ないしは適合の欠如が残っており、おそらくそれはモダ二ズムとそこに適用される低級文化との間に観察されてきたつながりの意味と関係しているのであろう。モダ二ズムは語としては自律的、内向き、自己言及的、自己批判的な芸術実践を示すコノテーションをもつ。アヴァンギャルドという用語の慣例的用法は逆こずっと包括的で、芸術外的な様式や挑発の戦術、集団の囲い込み、社会的生存といった概念を含むものである*56。「内向き」の方向性をもつモダ二ズムに対して、アヴァンギャルドはいわば芸術というシステムの外へ出ていこうとする方向性をもつものとして素描されている。
 クローは、モダ二ズムの展開をその先決条件(大衆文化および自然)との連関において捉えようとしたバーマンと同様にコンテキスト主義的立場を取るが、とりわけ資本主義体制下における大衆文化の役割に照明を当て、モダ二ズムと大衆文化の不即不離な連関を明らかにしようとする。彼の考察はグリーンバーグによるモダ二ズム発生史の出発点に据えられていた歴史的分析を批判的に再評価することから始まる*57。先ず最初に「キッチュ」、すなわち、産業革命後農村から都市に流入し文化の新市民となった一般大衆のための「後衛」の文化の展開があり、「高級文化」はその脅威から逃れるために「モダ二ズムの内向性、自己反射性、〈媒体への忠誠〉」という形態を採るに至ったという観察である。「我々が見てきたように、彼〔グリーンバーグ〕は高級文化としてのモダ二ズムがそこで折々用いられる大衆的素材に対して絶対的な優位を占めると躊躇なく固定化して考えるようになる。しかし後続の批評活動の大枠を提示した彼の当初の考察ではこの優先順位は逆転している。確かに「質」は常に伝統的な高級文化の遺鉢を継ぐモダ二ズムの側にのみ認められるものの、じつは大衆文化こそ高級文化が採るべき形態を決定してきた。大衆文化が先行し、決定を下す。モダ二ズムはその結果である」*58。ところがグリーンバーグは「 low から逃れる high 」という面のみを際立たせ、アヴァンギャルドがしばしば大衆文化出身の素材を活用したこと、「 low 」へのあからさまな傾斜を見せたことについての説明を欠く。「 high と low の相互依存が〔グリーンバーグの〕理論の核心部にある。グリーンバーグの分析では、大衆文化がモダ二ズムの活動から切り離されて考えられることは決してなく、創造面での〈自由〉を厳しく制限するものとして芸術家に対する不断の圧迫となっている。しかしこの圧迫はもちろん一方的──ひたすらな嫌悪、魅力はゼロ──である。そこでアヴァンギャルドが繰り返しおこなった通俗的な素材への帰順は説明されないまま残る」*59グリーンバーグの理論には「内向き」のモダ二ズムのアポロギアは見い出せても「外へ」と出ていこうとしたアヴァンギャルドの説明はない。
 クローはこれに対して、グリーンバーグと同時期に既に芸術と市民社会全体の変容との相互的な作用関係を解読していたメイヤー・シャピロの見解を援用しながら、モダ二ズムの二契機にとってより公平な視点の導入を試みる。シャピロに従えば印象派の絵画は、「理想や動機といったものへの言及なしに、個人の愉しみの場としてのみ芸術を捉える考え方」を実現した*60。これは「都市をそぞろ歩き、贅沢品を消費する」洗練された中流階級市民の余暇の過ごし方、その「無目的性」が、政治的実権や伝統的な共同体を失った中流階級にとってなお残されていたほとんど唯一の「自由」の空間であった(「力」ではなく「愉楽」が個人生活の望み得る最大の報償のトポスとなった)という事態を背景とする*61。19世紀後半以降このような私的愉しみとしてのブルジョワの「自由」が芸術家の「自由」のひな型となり*62、「フルタイムの余暇の専門家、他のパートタイムの消費者の官能的な期待を描き出し呼び覚ます美的技術者」としての芸術家像*63が確立したというのである。「シャピロの眼には、アヴァンギャルドは単に中流階級全体を見舞った個人生活の脱中心化に従った動きに過ぎない。印象派の形成が第二帝国と、すなわち政治上の権威主義への黙従に続いて消費社会の最初の華々しい展開が訪れた時期と一致して起こったのは、彼にとってはすこぶるふさわしいことなのである。2つの現象は実際のところ互いに切り離し得ない。中流階級の政治的文化の古典的形態が1848年以後に自壊したことは、社会の正規の機構組織の外の空間、しかもそこで〈自由〉のはっきりそれとわかるスタイルを取り出すことのできる空間における、個人の自律と効力についての伝統的理想の再構築を促したのである」*64。これまた同時に、19世紀後半における芸術の自己疎外(グリーンバーグが「公共の場からの撤退」と呼んだ事態)*65 ──すなわち、革新を求め体制に反抗するロマン主義的理念を掲げた芸術*66がここに至って「脱政治化・抽象化」し、反ブルジョワの理念を抱きながら支配階級の一部エリートによる支持に「黄金の鎖でつながれている」という内的矛盾をあらわにした状況に呼応する。そこからモダ二ズムは「芸術という職業の強いられた周縁化」のうちに始まったというクローの規定が導き出される*67。社会の「中心」的活動領域からしめだされ、本業ではなくレジャーのなかに辛うじて残存している「自由」の空間に退き、「社会のメカニズムから離脱し、遠くからそれを観照する」。
 実害のない、安全な場所に隔離された芸術、そして自分の所属する階級からの精神的疎外によってその芸術を支持する一部の知的エリート。しかしクローは、そのような「周縁」にこそ一種の治外法権的な自由の空間、「対立する社会的規定が生き延び、場合によっては栄えることもあるような相対的に規制の弱い社会空間*68」が確保されていると見、モダニズムの芸術運動全体の道筋を「抵抗するサブカルチャー」という社会学的モデルによって説明しようとする*69。ここにおいて「内向き」「外向き」の二契機の連係が明らかにされてくる。すなわち、モダ二ストの芸術家はただ余暇や娯楽という生の周縁に確保された自己の王国に退いたままであったわけではない。むしろごく初期の頃から繰り返しその「外」に、「低級文化」の素材に興味を示してきた*70。「 high と low という2つの美的秩序がスキャンダラスな同一性のなかに無理矢理取り込まれる」*71とき──異なるクラスを指示する記号同士が混成され「境界侵犯( boundary transgression )」するレジスタンスとしてのサブカルチャーの積極面が発動するとき、モダ二ズムは周縁化された自己の社会内地位に反抗する否定性( negation )の芸術というモメントを明示するのである。ところがこのようなアヴァンギャルド的な──「外向き」の── low への傾斜は長続きしない。それはむしろ「一時的な」 「戦略上」の例外的暴走であって、一時は放棄された「高級文化の自律性」が常に回帰してくる*72。「しかしどのような場合でも、この〔 nrgation の〕モメントの後には退却が続くのである──個別的な記述から、形式の厳格さから、集団の生命から退却し、また商品文化の周縁部からその中心へと退却する」*73。モダ二ズム芸術というサブカルチャーは、「内向き」のモダ二ズムである唯美的/形式主義的モダ二ズムと、「外向き」のモダ二ズムであるアヴァンギャルドの、両契機の交替として把握できるが、high の陣営からの逸脱はあくまで一時的また二義的な現象であって、最終的には脱政治化され自律世界として護られた(=疎外された) high の城へ戻るという経過を辿るというのである。クローによれば挑発( provocation )と退却( retreat )が交替するこのようなパターンは、「周縁化され不満をつのらせている集団の矛盾に満ちた経験を解決するものとしての抵抗するサブカルチャーに固有の限界」*74である。そこで、かつての野獣が飼い慣らされ、反文化が翻って文化の粋となる「一切のモダ二ストの運動の家畜化」*75という現象が生起する。同時に、キュビズムアール・デコに、シュールレアリズムが商品広告の語彙に広範に適用されるに至ったように*76アヴァンギャルドは「未だ完全には効果的使用に供されていない社会活動の領域を探し当て、それを他から切り離してはっきり眼に見えるようにする」*77ことによって、文化産業全般に新たな商品のアイデアを提供する「研究開発の触手」として機能し、「高級文化」が「低級文化」に吸収利用されていく。
 こうして、「高級文化」と「低級文化」の間には、グリーンバーグの主張したような二律背反ではなく相互的な交通が成立しているということが確認される。クローはバーマンと異なり(また多くのモダ二ズム芸術論者と異なり)、high と low の区別が実質面では消える方向にあり、にもかかわらずそのために一層、内実ではなくコンテキストへの依存を強めながら厳然と残っているという事情を看過していない。いかに両陣営間の往来が頻繁であろうとも、high が high であり low が low であるという上下のヒエラルキー自体は変らずに維持されているのである。「モダ二ズムが始動する交換のサイクルは一方向にのみ動く。反対を事とする諸活動による〔 high よる low の〕適用は上方、空虚にされた文化商品の返還は下方。アヴァンギャルドの発明の一部が大衆文化というより低いゾーンに再進入する場合にはその本来の力や完全性はなくなった形でそうなる」*78モダニズムの芸術は、自己のありかたを否定するアヴァンギャルドの契機と、その否定の身振りが作品化され商品化される(肯定に変ずる)保守的なモダ二ズムの契機の両極の間を往還する。この「攻撃」と「退却」の反復過程を、クローはむしろ、大衆文化そのものの自己否定と自己再建のプロセスとして捉えようとする。主体は大衆文化であり、モダ二ズムはその一結果なのだ。「大衆文化──それは発達した資本主義下の文化の別名にすぎないが──は、否定の契機と最終的に勝利を収める回復の不活性状態の契機との両面を見せる。モダ二ズムはこれらの2つの相対立する運動の間にある緊張の中に存在する」(79)。


 ポッジョーリのアヴァンギャルド理論がアヴァンギャルドモダニズムとを等号でつなぐアングロアメリカ系の批評の典型であったのに対して、カリネスクやビュルガーの場合にはアヴァンギャルドはモダ二ズムの特殊な位相として切出され(あるいはむしろ反モダ二ズムとして規定され)、アヴァンギャルドとポストモダ二ズムの連続性に視点が移っている。さらにバーマンやクローの解釈はモダ二ズムを一枚岩としてではなくむしろ互いによく似ていながら仲の悪い(取り違えられることも多かった)双生児のようなものとして考察する可能性の所在を示している。一方の契機、すなわち、「内向き」のモダ二ズムは、存立基盤が次第により不確かなものとなりつつあった「脅かされた芸術・文化」の自己防衛的とも言える否認の身振り( low からの切断)によって自律性の要塞に引きこもる。そこで、アヴァンギャルド、すなわち、「外向き」のモダ二ズムは、そのような否認によって芸術が自己を擁立したと同時に失ったものへの希求を抱いて要塞崩しにかかる。このような過程の進行につれて、芸術と非芸術、また高級文化と大衆文化の間の区別の設定はもはや実質的には不可能であるという状況が成立するが、にもかかわらず文化のヒエラルキー的構造は依然として存続し、そのための制度の枠付け機能は一段と巧妙化されている──美術館や劇場といった機構との共犯関係によって──いわば差異の不在を隠蔽するための存在の記号への依存を増すことによって*79
 クローの社会学的アプローチは、近年の文化社会学において顕著になってきた大衆文化と高級文化の序列の見直しという文脈を踏まえたものであろう。ジュディス・ブラウによれば、70年代、「高級文化がもともとより優れているわけでも、大衆文化がもともと劣っているわけでもない」という主張を最初に明示したハーバート・ギャンスやリチャード・ピーターソンの影響で文化社会学の見方に強勢の変化が現れた。high と low が互いのスタイルを借用し合い、受容者も多分に重なり合っている現在の状況のなかでは、「しばしば商業基盤に乗った芸術の方がエリート芸術よりもダイナミックである」という認識が生じてきたのである*80。ブラウの引用しているアーネスト・ファン・デン・ハーグは、大衆文化の隆盤と平行して生じる高級文化の社会的疎外を指摘して、「社会の産業化か進むにつれて大衆文化が人々の間で最も普遍的に共有される文化の型となり、個人生活および社会生活の大半の局面に浸透するようになる。高級文化や土俗の文化は私的ないし社会的生活に対してごく周縁的な影響力しか保ち得ない。それらは大衆文化によってその岸辺を洗われ、しばしば水没しかかる島となる」。「孤立し、社会的発展から切り離された地域や組織のなかに干上がっていく」と述べている*81。これは39年当初のグリーンバーグの(またオルテガ、マルロー、アドルノといったヨーロッパ知識人の)抱いていたキッチュの侵攻に対する危機意識ないし予感の実現にほかならない。
 カリネスクは、アレクシス・ド・トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』に依拠して、民主主義による文化の大衆化と平均化(「享受者の数は増大するが、富裕で識別力ある享受者は希少になる」)、さらに階級構造の混乱に伴う成り上がり精神(「旧貴族階級の消費のパターンの模倣」)によって、キッチュの全盛、高級芸術の疎外という社会状況が生み出されたと論じている*82。しかも貴族政時代の芸術とは異なり民主政下の芸術は、限られた時間内に手ごろに消費できる「息抜き」「人生の主要な魅惑としてでなく、真剣な労働の合間の必要だが一時的なレクリエーション」であることを求められる*83。主である実業に対する従/虚業としての芸術、あるいは「芸術という職業の周縁化」として観測される事態に合致する見方である。カリネスクの引用しているアドルノの言葉は、現代社会における文化全般のキッチュ化の加速への洞見と言えよう。「ひとびとは楽しみを求める。意識的かつ十全に集中した芸術経験は、その生活によって過度の圧迫を加えられていない人間にとってのみ可能である。過度の疲労は、倦怠と努力の両方から解放してくれる息抜きだけを欲求させるが、安価な商業的エンターテイメントの全領域が、この二重の欲求を反映している。それは紋切り型で消化済みであるがゆえに、くつろぎを与えてくれる 」*84
 享受者層の質的・量的変化に伴って当然芸術に対する要求も変貌を遂げる。にもかかわらず全ての芸術が従容と「疲れたビジネスマンのための肘掛け椅子」であろうとしたわけではなかった。むしろモダ二ズムは、そのような環境への適応をあえて拒否する一種時代錯誤的な態度を取ることによって「孤立した島」になる。「ブルジョワ不在におけるブルジョワ芸術、あるいは、より正確には、ブルジョワが自己の貴族性の主張を放棄した時代に於ける貴族芸術として提起される」*85というモダ二ズムの逆説である。アンチ・ブルジョワを標榜した「高級芸術」は実際は進歩派の一部ブルジョワの支持によって命脈を保っており、しかもそのような「独立心のある、批判的で、進歩的な知識階層」は大恐慌に続く「文化の画一化の時期」に消滅の危機に瀕していた*86。クローと同じくグリーンバーグの初期論考に依拠しつつ、クラークはこの逆説のなかに「社会的基盤」・根をもたず孤立している芸術としてのモダ二ズム芸術の困難さを見る。「疲れたビジネスマンがかくも憔悴し、空虚で、芸術に対しては自分の肘掛け椅子ほどの興味しかもっていないということ、それこそがモダ二ズムの──マチスにとってさえ──問題の一部であった。このような状況──呼びかけるべき適切な支配階級の欠損──こそが、モダ二ズムの否定的傾向の多くを説明するのである」*87。しかしまた、ヴァーネードの言葉を借りれば、「モダンの生は良いことも悪いことも混じった祝福であり、その混ざり具合は刻々変る」*88。そこで芸術の普遍的な真理が実現されたというわけでも、一切がただキッチュの大海に呑み込まれてしまったというわけでもない。仮にそれが特殊な一角に特殊な資格で囲い込まれた形であるにせよ、モダンは、逸脱、例外、規格外れ、そして抵抗を許容する社会外に呪われながら」*89我々の手許に残されているのである。

*1:Matei Calinescu: Five Face of Modernism, Avant-Garde, Decadence, Kitsch, Postmoodernism(Duke University Press, 1987)。以下本書の引用および頁数は邦訳『モダンの五つの顔』(富山英俊+栂正行訳、せりか書房、1989)に依っている。

*2:前掲書116頁。カリネスクによる「モダ二ズム」の概念史に従えば、「モダ二ズム」という語は、元々18世紀半ば新旧論争の展開の過程で、敵対する一派が近代派の党派性を批判する際に軽蔑的含意をこめて用いられた言葉であった(99頁)。それが最初に肯定的なコンテキストで使われたのは、1890年代初頭のスペイン語圏、殊にラテンアメリカにおいて、スペインの伝統的権威を拒絶し現代化による文化的独立を果たそうとしたルベン・ダリオによってであり、彼の「モデルニスモ」は同時代のフランス文学(デカダン派・サンボリスム等)の影響のもとに革新諸派に共通する精神を結実しようと試みた(100−104頁)。権威の拒絶、伝続からの独立としてのモダ二ズム──この基本的規定はまた保守派の教皇ピウス一世が1907年の回勅において、実証科学や歴史批評の成果を積極的に摂取しようとするカトリック世界内部の近代化の趨勢を弾圧したときの「モデルニスモ」という語の使い方にも通底する(121頁)。

*3:前掲書119−120頁。

*4:José Ortega Y Gasset: "The Dehumanization of Art." 以下本論文の頁数は Helene Weyl の英訳版 The Dehumanization of Art and Other Essays on Art, Culture, and Literature( Princeton University Press,1979 )による。

*5:前掲書5頁。なお、引用文中の〔 〕内は論者の補説である。以下同様。

*6:同6頁。大衆が「新しい芸術」を理解できないのは、そこには彼らが求め、またリアリズムの芸術に典型的に見られるような「人間的内容」 「生の抜粋」がなく、むしろ「脱人間化」 「様式化」 「脱現実化」によってミメーシスを捨てて独自の「深遠な宇宙」を形成する、より「純粋な芸術」であろうとするから、と論じられる(25頁、21頁)。

*7:同7頁。

*8:Diane Crane: The Transformation of the Avant-Garde ( The University of Chicago Press, 1987 )48頁に引用。

*9:その代表的な例はクレメント・グリーンバーグであろう。彼の1939年および40年の論考( "Avant-Garde and Kitsch" と "Toward A Newer Laocoon" は共に Clement Greenbearg: The Collective Essays and Criticism. vol.1, ed. John O Brian, The Unversity of Chicago Press, 1988 に所収のものを参照)においてもオルテガとほぼ同様の図式が採られている。外界へのレファランスを絶った抽象美術、「芸術のための芸術」は、「文学の優位」 (主題の優位)から解放され各々の媒体の特質を前景に据えることによって芸術としての純粋な自己を回復する運動であると擁護される。さらに1965年の「モダ二スト絵画」( "Modenrnist Painting. "Moden Art and Modernism, eds. Francis Frascina + Charles Harrison, Harper & Row, 1982 所収)ではモダ二ズムの芸術の公理が(批判哲学の用語を借りて) 「自己批判」として規定される。この段階でのモダ二ズムは、各芸術はその媒体に固有の機能と限界を明確に意識し不当な領域侵犯を侵さないよう、「文学」ないし「内容」への伝統的な傾斜から離れてその「自律性」の実現に向かわなければならないという規範的観念に変じている。

*10:Alfred Barr: Cubism and Abstract Art( The Museum of Modern Art/New York, 1936 ).

*11:例えば Modern Art and Modernism, eds. Francis Frascina + Charles Harrison ( Harper & Row, 1982 )所収の Michael Fried: "Three American Painters," 1965 を参照。

*12:Kirk Varnedoe: A Fine Disregard: What Makes Art Modern ( Harry N. Abrams, 1990 )の11-15頁参照。

*13:既に30年代からメイヤー・シャピロはバーの立論の「非歴史性」を指摘していた。そこで彼はいかなる社会的文脈のなかで近代的な芸術家の疎外(「自律」の外観をとることもあったであろう疎外)が生起したかを記述しようと試み、同時にそのような社会的過程が芸術作品のなかに解読されるということが示されている。いわば芸術的主観の下部構造が明らかにされ、脱神話化される。Meyer Schapiro: "Nature of Abstract Art," 1973, Modern Art: 19th and 20th Centuries ( George Braziller, 1982 )所収。また「エリオット風トロツキスト」であった出発点のグリーンバーグを批判的に再評価しつつ、社会的政治的な文脈の反映を芸術というテキストに読み取り、モダンの歴史を書き換えようとする T.J.クラーク( T.J.Clark: "Clement Greenberg's Theory cf Art," 1982 および "Arguments about Modernism: A Reply to Michael Fried," 1993 参照。共に pollock and After, ed. Francis Frascina, Haper & row, 1985 所収)、モダ二ズムの歴史記述を「神学的目的論」と呼び、新ダーヴィニズムのモデルを用いて偶然的要因とそれを受容し定着させる場との相関として歴史の展開を捉えようとするカーク・ヴァーネードー(前掲書)等、現代芸術の理論はまさにフォーマリスト・モダ二ズムに対してどのようなスタンスをとるかによって方向付けられる、といった感がある。

*14:モダニズムのふたつのモメント、という形で形式主義と前衛主義を対置してみる。モダンに「五つの顔」──モダ二ズム、アヴァンギャルドデカダンスキッチュポストモダン──があるとする、マテイ・カリネスクの包括的な視点を取り入れれば、19世紀後半以降の芸術の存在様態について、モダ二ズムとアヴァンギャルディズムの相即として考える、と言い直すべきであるかもしれない。しかしこの用語だと、アヴァンギャルドはモダユズムではないかの印象が残る。アヴァンギャルドとモダ二ズムが多くの場合ほとんど同義の言葉として用いられており、各々の内包・外延が論者によって微妙にずれているという事態もあるため、その包摂関係の混同を避ける意味で一旦両方をモダニズムとしてくくり、「内向きの」 「外向きの」という言い方で区別する。

*15:cf. Jürgen Habermas: "Modernity──An incomple Project, " 1981, tras l. Seyla Ben- habib, The Anti-Aesthetic, ed. Hal Foster ( Bass press, 1983 )所収。

*16:クラークの1983年の論文、前掲書83頁。

*17:ヨヒェン・シュルテ・サッセも同様に、「現在のアメリカの批評界におけるモダ二ズム理論の大半は、リアリズムから唯美主義への移行の意義を誇張するあまり、〈もはや美とは言えない幻影の貝殻〉を懐し〈生のただなかへ身をやつし乱入する〉ことを芸術に命じたアヴァンギャルドの行為による重要な試みを無視する、もしくは不十分にしか認知しない、という嫌いがある」(醱醱醱酈頁)と述べている。Jochen Schulte-sasse: "Theory of Modernism versus Theory of the Avant-Garde" は、Peter Bürger, Theory of the Avant-Garde, transl. Michael Shaw ( University of Minnesota Press, 1989 )に序文として所収。

*18:Renato Poggioli: Teoria dell'arte d'avanguardia, ( societá editrice il Mullino,1962 ).以下本書の引用と頁数は Gerald Fitzgerald による英訳版、The theory of the Avant-Garde ( The belknap press of Harvard University press, 1988 )による。また、本書の邦訳は『アヴァンギャルドの理論』篠田綾子訳(晶文社、1988)がある。

*19:前掲書1頁。

*20:同14頁、および42-59頁。

*21:オルテガ自身は「アヴァンギャルド」という言葉は使わず、「新芸術」「若い芸術」「抽象芸術」「脱人間化された芸術」という言い方の方を好んでいたということはポッジョーリ自身も指摘している(同5-6頁)。またオルテガの先の論考はアヴァンギャルド・プロパーというよりモダ二ズム芸術論として解釈されるべきであろうが、後述するように、ポッジョーリの場合「アヴァンギャルド」と「モダ二ズム」は多分に互換的な概念として把握されている。

*22:前掲書51-52頁。

*23:同20-25頁。ポッジョーリは、アヴァンギャルドの特性のひとつとして、伝統ならびに公衆に反対するアンタゴニズム/アナーキズムを説明する際、アンドレ・マルローの言葉を引用しながら、アヴァンギャルドによって自律的な(と同時に 疎外された)芸術家集団が形成されるという指摘に同意している。ここでもアヴァンギャルドはモダ二ズムと等価の概念として用いられているのである。「『芸術家が自らを規定するのは、先行するものと断絶することによってであり、徐々に目的意識をもって自己を征服することによってであるように見える。しかし、芸術家はそれぞれ、孤立した同志の徒党(クラン)に、戦利品を持ち寄り、同志たちは、彼をますますその固有の環境から引き離すのである。』現代の芸術家は、家族や社会的出自によって決定される固有の環境の代わりに、フランス人のいわゆる〈芸術界(ミリュー・アルティスト)〉にはいるのである」 (31頁)。

*24:カリネスク、前掲書197頁。115頁も併せて参照。

*25:シュルテ・サッセ、前掲書xiv頁。シュルテ・サッセは、 John Weightman の The Concept of the Avant-garde Explorations in modernism ( London, 1973 )やI riving howe の decline of the new ( New York, 1970 )といった例を挙げているが( xiv-xv頁)、無論グリーンバーグにしてからがこの「伝統」に従っている典型的な例と言うことができる。

*26:カリネスク、前掲書137頁。カリネスクによれば、フランス革命直後から登場したアヴァンギャルドという概念は、サン・シモンやロドリーグらによってユートピア無政府状態を目指す社会改良プログラムの前線を構成する芸術家という、芸術の政治利用(プロパガンダ)に近い文脈で用いられていた(142-148頁)。そしてこのことはロマン派とアヴァンギャルドの深いつながりを証示する、とされる。「詩人が預言者であるという神話は、ロマン主義の初期以来、復活され発展されてきた」 (148頁)。しかしアヴァンギャルドは1910年代までに「伝統のひたすらな破壊」を旨とする革新的芸術活動、「あらゆる反伝統的な急進的運動」を包括する批評用語となり、その後さらに20世紀前半の過激な諸運動を指す歴史的範疇としての発展がこれに加わる(166頁)。

*27:前掲書198頁。

*28:同177頁。

*29:Peter Bürger, Theory of the Avant-Garde ( Suhrkamp, 1974 ).以下本書の引用および頁数は英訳版=Theory of the Avant-Garde, transl. Michael Shaw ( University of Minnesota Press, 1989 )による・尚、邦訳は『アヴァンギャルドの理論』、浅井健二郎訳(ありな書房、1987)がある。

*30:ビュルガーの「歴史的アヴァンギャルド」は、第一にダダイズム、初期のシュールレアリズム、10月革命以降のロシア・アヴァンギャルド、第二にイタリアの未来派ドイツ表現主義、第三にキュビズムを射程に入れる言葉である。前掲書、109頁、第2章の註4参照。

*31:前掲書26-27頁。

*32:同22頁。

*33:同22-23頁。

*34:そこで作者という起源によって閉じられ完結された「有機的全体」という作品観を否定するために、作品のなかに「現実」が、すなわち、芸術のなかに非芸術が混入してくる。たとえばピカソやブラックによるパピエ・コレのように、「現実の断片」=「芸術家によって加工処理されないままの素材」が絵のなかに挿入され、ルネッサンス以来の再現のシステムが疑問に付される。「現実の断片を芸術作品のなかに挿入することによってその作品は根本的に変化する。芸術家は単に全体を形作ることを拒否するのみならず、絵画に異なる地位を与えるのである。部分がもはや有機的芸術作品に特徴的な現実との関係をもたない以上、部分は現実を指示する記号であることをやめ、現実である」 (同78頁)。このような作品は受容者に対して統一体としての意味の伝達を拒否することによって実践面における態度変更を要請する、とビュルガーは論じている(同80頁)。

*35:グリーンバーグ、1939、前掲書7-8頁参照。

*36:ビュルガー、前掲書34頁。

*37:同56頁。

*38:「芸術と生の止揚」の問題。ここで問われていることをいわゆる社会参加や左翼芸術という位相(『ゲルニカ』はよいが「安楽椅子としての絵画」は駄目、というような次元)に限定せず、伝達性、意味、力の回復、大衆とのつながり、モダ二ズムの芸術が自己を擁立したと同時に失ったものの復権という位相において捉えたい。既に古典的な伝達のコードが否定され、また前近代の全体知への帰還は不可能でありそもそも望ましくもないということが明らかになった後の場面でそのような復権の行為を試みることの困難が、後述の「アヴァンギャルドの失敗」と言われる状況(ポストモダンの状況)に荷担したと考えられる。

*39:同53-54頁。

*40:同56-57頁。

*41:同54頁。

*42:同54頁。

*43:同58頁。

*44:同57頁。

*45:同58頁。

*46:同63頁。

*47:オルテガ、前掲書25頁参照。

*48:ビュルガー、前掲書87頁。

*49:カリネスク、前掲書171頁。

*50:同206頁。

*51:同208頁。

*52:Russel A. Berman: modern Culture and Critical Theory ( The University of Wisconsin Press, 1989 )46頁。この意味でビュルガーの論理は、彼自身が考えているようにマルクス唯物論史観ではなく、トマス・クーンの〈パラダイム・シフト〉の影響下にある、とバーマンは見る(48-49頁)。芸術内在的論理と線的発展の図式を潜伏させているという限りにおいて、ビュルガーはシャピロやクラークやヴァーネードの批判しているフォーマリスト批評の態度(ひとつの様式が自己を「消耗」し尽くすや別の様式が出てくると主張するバー、既に芸術はその自律性を確立した後の段階に至っているので、芸術上の革新は直前の芸術実践が提示した形式面の問題に対する応答として説明できるとするマイケル・フリード)と近似の立場に留まっていると言えるかもしれない。シャピロによるバーの批判参照(「ある芸術と時の条件との間になんらの関連も引かれない」 「近代芸術の歴史が芸術家同志の間での内的・内在的過程として提示されている」前掲書、187-188頁)。

*53:バーマン、前掲書47頁。

*54:同49-50頁。

*55:同51頁。

*56:Thomas Crow: "Modernism and Mass Culture in the Visual Arts, "1983, Pollock and After,ed.Francis frascina ( Harper & Row, 1985 )所収、234頁。

*57:この点でクラークの前掲論文(1982)のアプローチと近似している。ちなみにクラークは、モダ二ズムとアヴァンギャルドの区別を立てない点でグリーンバーグの用語法を踏襲している。しかしモダ二ズムにとっての「媒体」は芸術の自己定義のトポスであったと同時に「否定」( negation )のそれであったということを強調するクラークは、モダ二ズムに「内向き」の自己批判の契機と「外向き」の自己否定の契機の交替を見るクローと近い位置にいると考えられる。たとえば以下のようなクラークの主張を見よ。「それ〔ブルジョワ芸術〕はグリーンバーグが有無を言わさぬ調子で描き出した種々の内向きの展開に携わっていくであろうし、携わってきた。しかしそれはまた、社会秩序のなかの別の場所を求める運動にも携わっていくであろうし──モダ二ズムの実践の一部として、現に携わってきたのである」 (60頁)。

*58:クロー、前掲書238頁。

*59:同238頁。

*60:シャピロ、前掲書192頁。

*61:前掲書193頁。シャピロによれば、印象派がこの「個人の愉しみ」としての芸術を実現した際、「このような快楽の開発が自らの階級の公けの信念から離れた啓蒙されたブルジョワにとっての自由の最高の場である」という前提があった。

*62:クロー、前掲書240頁。

*63:同241頁。

*64:同242頁。

*65:グリーンバーグ、前掲書8頁。

*66:1785年当時のダヴィッド、1850年クールベが行った(とクロー自身によって解釈されている) 「民衆の再定義」がクローの念頭にある(240頁)。cf. Tomas Crow: "The Oath of the Horatii" in 1785 : painting and pre-Revolutionary Radicalism in France, " Art History, I( December 1978 )所収。

*67:クロー、前掲書244-245頁。

*68:同246頁。

*69:クレーンによれば、イギリスの文化社会学( Ex. Stuart Hall and T.Jefferson eds. : Resistence Through Rituals, Pluto Pless, 1976 )のある一派は文化的革新における「抵抗するサブカルチャー」の役割を強調しており、現代社会の構造が「エリート」対「非エリート」の対比ではなく、「広範な社会集団とネットワーク」からなり、その各集団が固有のサブカルチャーを有している、と考える。そのなかの「周縁的な社会集団」によって、「抵抗するサブカルチャー」の役割が担われるのである(前掲書76頁)。

*70:クローの場合同一人物・同一グループのなかで「内向き」のモダ二ズムの時期と「外向き」のそれとが交替すると考えられる。クロー、前掲書233−234頁。

*71:同250頁。

*72:マネについてのマラルメの評言、スーラについてのポール・シニャックの評言、ピカソ、ブラックのコラージュについてのグリーンバーグの評言を挙げて、このような「自律性の回復」を優位に置く視点をクローはモダ二ストによって形作られてきた「一個のグループ・イデオロギー」「囲い込み( closure )の行為」として捉えようとする(234−236頁)。

*73:前掲書253頁。

*74:同253頁。

*75:同255頁。すなわち、芸術の領域ではアヴァンギャルドの保守化(モダ二ズム化)、その外の世界では「偽りの止揚」が帰結するというビュルガー、カリネスクの見解に合致している。

*76:同257頁。

*77:同257頁。

*78:同258頁。

*79:1992年の初夏、ニューヨークのグッゲンハイム美術館が再館した。フランク・ロイド・ライト設計による五番街の旧館を拡大改築し、ソーホーには磯崎新による新館を建設し、各々ほぼ1週間にわたる華やかなリオープ二ングのレセプション行事が開かれた。ある晩、新館の入口でごく小規模の抗議デモの一群に出会った。美術館は(そしておそらく美術界全体が)人種差別、性差別に荷担している、と彼らは糾弾する。たしかに、美術館に入った女性芸術家の作品というのは非常に少ないし(もっとも前回のベニス・ビエンナーレアメリカ代表はジェニー・ホルツァーであったが──グッゲンハイムも改修工事に入る直前に彼女の個展を開いている)、白人以外の作家となるとはとんど近代美術史の文脈に入ってこなかった(河原温やジャン・ミシェル・バスキアのような例外はやはり例外として意識され続けている)のも事実である。なにより、人種差別は階級差別である。美術館がオープ二ングに招待する階層は──殊に一般会員のためのオープ二ングに先立つ(しばしば正装晩餐会付きの)プレヴューに招待するのは、一部の富裕階層であり、この階層は特定の人種に独占されている。階級のない平等社会/民主主義のお手本というこの国の神話が崩れて久しい。アメリカに限らず、近代資本主義市民社会の生み出した「中流階級」という層は、自己を下位の階級から区別したいという欲求を不断に潜在させているのだろうか? いまや美術館は、この差異への(より正確には差異の虚構への)欲求を巧妙に利用する仕組みを揃えた文化産業の一端に吸収されつつあると言えるのではないか?

*80:udith R. Blau: "High Culture as Mass Culture ," Art and Society: Reading in the Sociology of The Arts, eds. Arnold W. Foster and Judith R.Blau ( State University of New York Press, 1989 )所収、430頁。

*81:前掲書433頁。

*82:Alexis de Tocqueville: Democracy in America ( Vintage, 1945 ).カリネスク、前掲書314頁。

*83:同326−327頁。

*84:同332頁。T.W.Adorno: "On Popular Music," Studies in Philosophy and Social Science 9( 1941 ))よりの引用。

*85:クラーク、前掲書54頁。

*86:同54頁。

*87:同59頁。「肘掛け椅子」であることを拒否した芸術がクローの言う「抵抗するサブカルチャー」・カウンターカルチャーを形成したか、についてクレーンは(ポップ・アートや80年代の「新表現主義」を例に引いて)懐疑的である。しかしポップの出現はアヴァンギャルドが既に不可能となった段階と符合していると考えれば、それは不思議なことではない。成功して人の眼に触れるようになったアヴァンギャルド、たとえば、コマーシャル・ギャラリーの白い壁に展示された落書(グラフィティ)アートは、商品市場の一部となり当初の社会的背景を失う。そのような市場に組み入れられなかった方のグループこそむしろ「抵抗するサブカルチャー」の成員となるのであるが、彼らの活動はあくまで「周縁」に留まって我々のもとには届かないであろう(クレーン、前掲書79頁)。成功する/市場に吸収されるまでの時間の短さゆえに、そしてまた成功しないグループとの断絶ゆえに、「ポストアヴァンギャルド」の芸術が「肘掛け椅子」以上のものとなることは一層困難となっている。

*88:ヴァーネードー、前掲書20頁。

*89:ポッジョーリ、前掲書109頁。