小田亮

「歴史主体」論争への人類学的介入――共同体というものをどのように想像するか――その2 小田亮

4 共同体の想像のスタイルの貧困 「小さな物語」が、共同体の境界のなかに限界づけられているものと捉えることは、普遍性や異種混淆性を、共同体と共同体の狭間や、共同体を解体した後にしか見いだせないものと捉え、共同体(共同性)というものを「閉じら…

「歴史主体」論争への人類学的介入――共同体というものをどのように想像するか――その1 小田亮

1 「歴史主体」論争とポストモダニズム 加藤典洋の「敗戦後論」とそれに対する高橋哲哉の批判から始まった「歴史主体」論争と呼ばれる論争で提起された重要な問いは、日本人というネイションを名指しした他者の訴えに応答することと、ネイションという枠を…

書評:中生勝美編『植民地人類学の展望』(風響社、2000年) 小田亮

アジアとくに東アジアをフィールドにする人類学者たちを執筆者とする本書は、題には掲げられていないが、「日本の植民地人類学」、すなわち、日本における民族学や人類学と、植民地や戦争との関係を考察するための初めての論集である。その背景には、日本の…

ポストモダン人類学の代価−ブリコルールの戦術と生活の場の人類学 その3 小田亮

結論 生活の場の人類学へ向けて すでに見てきたように、近代世界システムと現地の文化の接触における「伝統の発明=創出」をどう捉えるかは、ポストコロニアル人類学にとって重要な課題であった。松田素二[1990: 35-9]は、伝統の創出という現象の生成源を…

ポストモダン人類学の代価−ブリコルールの戦術と生活の場の人類学 その2 小田亮

第2章 ポストコロニアルとブリコラージュ 1 「伝統の発明」と文化の構築 ポストモダン人類学は、サイードのオリエンタリズム批判がいまだ本質主義の尻尾を引きずっていると批判しているのと同様に、ホブズボウムとレンジャーらの「伝統の発明」論に対して…

ポストモダン人類学の代価−ブリコルールの戦術と生活の場の人類学 その1 小田亮

序論 問題の所在 本論文の目的は、ポストモダン人類学*1の研究動向をサーヴェイすることではなく、ポストモダン人類学におけるオリエンタリズム批判や文化の構築論が基づく、本質主義(essentialism)と構築主義(constructionism)の対立という枠組みが見え…

阿部年晴・小田亮・近藤英俊編『呪術化するモダニティ』(風響社)の「まえがき」 小田亮

2007年5月30日に刊行された阿部年晴・小田亮・近藤英俊編『呪術化するモダニティ:現代アフリカの宗教的実践から』風響社 の紹介を兼ねて、「構成」と「まえがき」の原稿を載せておきます。構成 まえがき プロローグ 瞬間を生きる個の謎、謎としての…

書評:網野善彦対談集『「日本」をめぐって』(講談社) 小田亮

この本は、網野善彦氏が、田中優子氏(日本近世文学)、樺山紘一氏(西洋史)、成田龍一氏(日本近代史)、三浦雅士氏(文芸評論家)、姜尚中氏(政治学)、小熊英二氏(日本近代思想史)と行なった対談を集めたもので、講談社の「日本の歴史」シリーズ00巻…

空間としてのストリート、場所としてのストリート――都市の匿名性、または秩序の反復と撹乱の不可分性について―― 小田亮

1.ストリートについての二つの見方 アンリ・ルフェーブルは『都市革命』の冒頭で、街路(ストリート、rue)を礼賛する意見とそれに対する反−街路礼賛論の両方をどちらにくみすることなく並べてみせています。街路礼賛派は、街路が活気あふれる「出会いの場…

創発的連帯と構築された外部 小田亮

1.関係性の「過剰」としてのセクシュアリティ よく、ナショナリズムをのりこえるために、ナショナル・アイデンティティの単一性・排他性とは異なるアイデンティティの多元性や「役割関係の複数性」を唱える言説があります。例えば、そのような言説の例とし…

関係性としてのポリフォニー 小田亮

0.はじめに バフチンがポリフォニー論で展開している〈声〉の複数性――「1つの言葉に2つの声」――ということを、発話や語りということを離れて、〈声〉と同様に主体の固有性や単独性・直接性を示すものとされる「固有名」や「身体」に適用して、個の固有性…

思考の途中:途中の思考(1) 小田亮

2003年5月 5月10日(土)に、近藤英俊さんが主宰している研究会「アフリカセミナー」(もう第58回だそうだ、近藤さんに敬意)に出席して、国士舘大学の鈴木裕之さんの「アビジャンのストリート文化を『解釈』する」という発表を聞いてきた。事前に…

講義 「アフリカン・アメリカン文化」 小田亮

1.アフリカン・アメリカン文化の成立 ●16世紀に始まる奴隷貿易 16世紀に始まる大西洋間の奴隷貿易は、西ヨーロッパの製造品(綿製品、真鍮の腕輪などの金属製品、ジンなどの酒類、鉄砲など)を積んだ船がアフリカ西海岸でそれらを奴隷と交換し、代わりに奴…

講義「なぜ帰宅後にすぐ手を洗うのか――文化人類学の効用」 小田亮

文化人類学を学ぶことは何の役に立つのか、という質問を受けることがあります。最近では、学生からだけではなく、社会からそのように聞かれたらすぐに答えられるような講義が望ましいといった、くだらないことを大学内で言う人もいます(実際に「社会」がそ…

講義 「地域をどう捉えるか」 小田亮

1.真正な社会としての「地域」 文化人類学の研究の基本的な対象は「地域」での生活です。そして、その「地域」からはるか人類全体の文化というものを見ていこうというのが文化人類学という学問です。それは、小島先生がやられている民俗学の対象も同じだと…

斜線を引く、ちぐはぐに繋ぐ――「横断性としての民衆文化」論のために―― 小田亮

たしかに流通力とその範囲を問題にするかぎり、小さな言語は敗けいくさを戦わざるをえないだろう。遺棄されていく小さなもの。この現代性の形姿をここにも確認するほかはないのだろうか。しかし、小さな言語が放棄を迫られるままに消えていくのでないとすれ…

都市と記憶喪失について 小田亮

はじめに いただいたお題は、「都市と記憶」というものだったのですが、題のなかの「記憶」という語に「喪失」をつけました。現代の都市生活から何が喪失したのか、私たちは何を失ったのかという語り方は最も陳腐な語り方だろうとは思いますが、そもそも物語…

ヒトはなぜ衣服を着るのか 小田亮

専攻が文化人類学だと、世界の珍しい衣服などについて教えてほしいという依頼や問い合わせを受けることがある。人類学者ならば、例えばマルケサス島の人々の身体装飾など風変わりな「衣」の話ぐらい知っているだろうということなのだろう。けれども、そのよ…

女子学生はなぜ性的ではないのか 小田亮

女子学生はなぜ性的ではないのか。といっても、自分の勤めている大学の女子学生を敵にまわそうというわけではない。まぁこんなことを書かなくても、仲良くしてくれる気配はないのだけれども。それはともかく、個々の女子学生がセクシュアルではないと言いた…

日常性という視点とヴォランタリズム批判 小田亮

1.日常性批判と意識化至上主義(ヴォランタリズム) 私の報告は、日常性ということを「関係の複数性・多義性」が維持されることとして捉え、マスメディアや法や貨幣といった媒体によって合理化された間接的なコミュニケーションによって再構成された生活世…

閉じた共同体のイメージ――監視とプライヴァシー――

PDFで読む1.魔女と村八分 『悪魔の話』という本の中で、池内紀氏は、ヨーロッパの魔女信仰および魔女狩りの舞台を次のように記している。 小さな町。いつもどこかから自分を見張っている視線がある。いつもどこかに、こちらをうかがっている眼差しがひそん…

現代社会の「個人化」と親密性の変容――個の代替不可能性と共同体の行方―― 小田亮

1.はじめに 世界的にみて現代社会が新しい段階にきているということはしばしば指摘されている。この段階は、経済的には「新資本主義 new capitalism 」、政治的には「ネオ・リベラリズム」の時代と呼ばれており、社会学的には、新たな「個人化」(「非線形…

講義 ネオ・リベラリズム期のナショナリズムとセキュリティ 小田亮

1.はじめに 後期講義の最初で述べたように、この講義では、現代社会の特徴を、「個人化」による社会全般の「液状化」にみてきた。繰り返せば、「個人化」とは、ウルリッヒ・ベックらが言うように、社会の規範や慣習や規制といった、人びとの行為を律する枠…

社会の二層性あるいは「二重社会」という視点――小さなものの敗北の場所から―― 小田亮

タイトルについての説明からしておこう。「社会の二層性」ないしは「二重社会」という視点は、最近、湖中真哉さんが、『牧畜二重経済の研究』[湖中 2006]によって見事によみがえらせた、J・H・ブーケの「二重経済」論の前提となっている「二重社会( dual …

真正性の水準と「顔」の倫理──二重社会論に向けて── 小田亮

PDFで読む はじめに 上田紀行は『生きる意味』[上田 2005]のなかで、現代日本社会を襲っている問題の本質を「生きる意味」が見えないということだとしたうえで、その原因を「かけがえのなさの喪失」にあるという。他者の欲求を生きることを強いるシステム…

「遊び」へのまなざし 小田亮

はじめに 「遊び」というと何をイメージするだろうか。自分がする「遊び」ならば、競馬やパチンコやマージャンといったギャンブルかもしれないし、バイクでのツーリングや温泉旅行といったレジャーや、ゴルフやスキーや草野球などのスポーツかもしれない。あ…

共同体概念の脱構築と再構築 小田亮

1.はじめに 共同体概念の脱構築と再構築というテーマは、実は私がここ数年ずっと研究課題としているものです。ここで脱構築の対象となる「共同体」という概念は、「社会学の世紀」であった19世紀の社会学において、近代都市をモデルとする「市民社会」か…

「日常的抵抗」論の可能性──異種混淆性/脱領土化/クレオール性再考──

1.本質主義批判と異種混淆性論 ポストモダン人類学と呼ばれる人類学の潮流は、文化の本質主義批判から始まったと言えるでしょう。本質主義とは、文化によって規定された人間分節(人種や日本人やマサイ族といった民族、あるいは女性やゲイなど、ジェンダー…

生活世界の植民地化に抗するために――横断性としての「民衆的なもの」再論―― 小田亮

はじめに ピエール・ブルデューは、「『民衆』の用途」という短い論文で、民衆文化の研究者が「階級的エスノセントリズムと、その転倒した形に他ならないポピュリズムとの板ばさみ」に陥っていることを指摘しながら、「ポピュリズムとは、〔民衆というものの…

講義 ポピュラー・カルチャーと流用 小田亮

1.ホガートとアドルノの大衆文化批判と「二層モデル」 カルチュラル・スタディーズの生みの親の1人であるリチャード・ホガートは、『読み書き能力の効用』のなかで、イギリス労働者階級の「伝統的な民俗文化」の没落を指摘する(ホガートが本当の「民衆文…