garage sale 目次

石田圭子

  1. 芸術による批判は可能か?──アドルノの文化批判論をめぐって  PDFで読む

石田潤一

  1. ネオリベラリズム分析の検討 ──支配的影響力の要因と「脱政治性」の観点から──  PDFで読む

石村実

  1. 絵画表現における重層性について  PDFで読む

伊藤誠

  1. サブプライムから国家債務危機へ

稲垣里芳

  1. 20世紀初めのヨーロッパにおける 「黒人芸術art negre」の発見と評価

イルコモンズ(小田マサノリ)

  1. 〈帝国〉のアートと新たな反資本主義の表現者たち  PDFで読む

上野俊哉

  1. 悪名を継ぐ
  2. シチュアシオニストを斜めから見ること

鵜飼哲

  1. 〈ここ〉と〈よそ〉──シチュアシオニストと第三世界の革命

江澤健一郎

  1. 建築的身体の解体、変質作用

大久保恭子

  1. プリミティヴィズム(Primitivism)の変容── 観念の相対性をめぐる考察──

大平具彦

  1. 20世紀芸術と多元文化形成:トリスタン・ツァラと「黒人詩に関するノート」

岡本太郎

  1. シケイロスと現代美術評論

小田亮

  1. 小田亮論文集

小倉利丸

  1. 都市空間に介入する文化のアクティビスト パブリック・アートの政治性  PDFで読む
  2. 原発は資本と国家の狂気である  PDFで読む
  3. ナショナリズムを根源から拒否しうる価値の創造へ  PDFで読む
  4. 「愛」と「成長」のダークサイド  あるいは夢想家になることの必要について  PDFで読む
  5. いま現在の運動へつらなるラディカリズム
  6. もっと暗闇を!──グローバル資本主義批判から原発批判への道を探る  PDFで読む
  7. グローバル資本主義の金融危機と労働力支配  PDFで読む
  8. 社会正義のために経済の「破綻」を恐れてはならない──原発事故から学ぶべきこと──  PDFで読む
  9. 測定とミクロの権力 放射能汚染問題をめぐって  PDFで読む
  10. 「成長」とナショナリズム──不可能性としてのアベノミクス
  11. 所有と表現の自由
  12. 社会に介入するアート ──シチュアシオ二ストの実験とボイスの「社会彫刻」
  13. ストリート文化の非犯罪化のために――所有権に抑圧される表現の自由
  14. 音の氾濫、反乱の音 ── 大衆音楽の両義性

小田部胤久

  1. 不気味なもの── ハイデガー
  2. 芸術の終焉 ── ダントー
  3. ペーター・ビュルガー「現代美学にとってのアヴァン・ギャルドの意義──ユルゲン・ハーバーマスに答える」

加藤政洋

  1. ストリートの現働化 規律―管理社会をめぐる時間地理学からの展望  PDFで読む

ギー・ドゥボール

  1. 病んだ惑星

北川正

  1. バタイユが捉えたマネの「聖性」について  PDFで読む

木下誠

  1. 秘密言語の共同体──スペクタクルの社会におけるドゥポールの闘争の戦略
  2. 「転用」としての闘争──シチュアシオニストと68年
  3. スペクタクルを盲目にする
  4. 『スペクタクルの社会』訳者解題 付「シチュアシオニスト・インタナショナル」の歴史

工藤キキ

  1. ポスト・ノー・フューチャーにとって政治とはなにか──シーンなきアートの現場から

熊倉敬聡

  1. アドルノ,ブランショ,グリーンバーグ  ──批評におけるモダ二ズムというイデオロギー  PDFで読む
  2. コラボレーションの脱資本主義的可能性について──ロシア・アヴァンギャルドを中心に──  PDFで読む
  3. 来るべき<幸福学>へのノート 頑張らなくてもいい社会に向けて  PDFで読む
  4. エイズ・デモ・グラフィックス, あるいは芸術の死?  PDFで読む

栗原幸夫

  1. スペクタクル社会に亀裂をつくるために
  2. 同時的体験の時代──堀田善衛の想い出に──

クレメント・グリーンバーグ

  1. セザンヌ
  2. モダニズムの絵画

黒瀬勉

  1. 知識と権力 ──言説としてのオリエンタリズム──  PDFで読む

桑野隆

  1. ロシア・フォルマリズム

高祖岩三郎

  1. アートとアクティヴィズムのあいだ───あるいは新しい抵抗運動の領野について
  2. 「その名」を公共圏に記しつづけよ!

河野哲也

  1. ウィルダネスとホームレスネス ――荒野・大海原、そして、家のないこと――  PDFで読む

古賀徹

  1. 機能主義の美学 ──アドルノのデザイン論を通じて──  PDFで読む
  2. 今日のモダニティ 2010年代のデザインと社会  PDFで読む

粉川哲夫

  1. 粉川哲夫の本
  2. 「パフォーマンス」の現象学  PDFで読む
  3. イタリアの熱い日々――街路と個室を結ぶメディアヘ  PDFで読む

小手川正二郎

  1. レヴィナスにおける還元の問い  PDFで読む

コリン・コバヤシ

  1. 「世界は売り物ではない!」 フランス農民総連合の文化闘争
  2. 新たな状況を構築するアクティヴなアートは可能なのか

近藤紀宏

  1. 「知のあり方」について──『オリエンタリズム』の視点から  PDFで読む

斎藤貴男×木下正樹

  1. このここまでヤバい、今の日本!  PDFで読む

斎藤純一

  1. 分断化する社会と生の保障  PDFで読む
  2. 「第三の道」と社会の変容 ──社会民主主義の「思想」的危機をめぐって─  PDFで読む
  3. 公共性と自由/セキュリティ──社会的連帯の理由をめぐって  PDFで読む

酒井隆史

  1. メガロポリスの予言者 ──現代都市における所有と占有について──  PDFで読む
  2. 〈運動〉以降   PDFで読む
  3. A Scanner darkly 統合されたスペクタクルと秘密の支配   PDFで読む

佐野栄一

  1. セザンヌと『知られざる傑作』(I)   PDFで読む
  2. セザンヌと『知られざる傑作』(Ⅱ)   PDFで読む
  3. セザンヌと『知られざる傑作』(Ⅲ)   PDFで読む

シチュアシオニスト

  1. アンテルナシオナル・シチュアシオニスト

渋谷望

  1. ポスト総中流社会におけるナショナリズムのゆくえ  
  2. 「抵抗」して生き残れ  

澁谷政子

  1. 前衛音楽のアイデンティティについての問い──「音楽の零度」と「不評」の相克   PDFで読む

ジャック・ランシエール

  1. 解放された観客

ジャン=フランソワ・ロジェ

  1. 歴史の思考の最期――ギー・ドゥボールとシチュアシオニストの映画

ジョルジュ・バタイユ

  1. 建築
  2. 不定形の

ジョン・ホロウェイ

  1. 1968年と抽象的労働の危機(1968 and the Crisis of Abstract Labour)   PDFで読む

末永照和

  1. セザンヌ空間の構造 「サント・ヴィクトワル山」連作を中心に   PDFで読む

ティーブン・シュカイティス

  1. 情動構成の美学 ──観客を消滅させ、群衆蜂起をうながす  スティーブン・シュカイティス 西川葉澄=訳  PDFで読む

スラヴォイ・ジジェク

  1. 永遠の経済的非常事態 スラヴォイ・ジジェク 長原豊訳

関根康正

  1. 都市の歩道空間の聖化にみる 抗争場としてのストリート 南インドチェンナイ市における歩道寺院を事例に  PDFで読む
  2. 『ストリートの人類学』という批評的エスノグラフィーの実践と理論 その1その2その3  PDFで読む

高木彰

  1. 「自然の数学化」と学問の「危機」──E.フッサールの後期の所説に関連して── その1その2  PDFで読む

高階勝義

  1. フッサールの科学批判と「生活世界」概念  PDFで読む

高橋綾

  1. 知覚における絵画的意味  PDFで読む

高橋紀穂

  1. 時間を忘れる──表象と労働  PDFで読む

武盾一郎

  1. 画家よ生きてくれ! クリエイティヴ・レイバー(芸術労働者)宣言
  2. 路上画家(ダンボールハウスペインター)武盾一郎氏に聞く ──新宿訳西ロダンボールハウス村より (聞き手)小倉虫太郎  PDFで読む
  3. 新宿人肉工場の聖霊リアリズム シンポジウム 究極Q太郎・平井玄(2005年10月8日)  PDFで読む
  4. 新宿区ダンボール絵画研究会シンポジウム 中原佑介・毛利嘉孝・山根康弘・深瀬鋭一郎(2005年10月10日)  PDFで読む
  5. 魚を抱えた恵地寿様 武盾一郎/丸川哲史(聞き手)

田中彰

  1. 生きられる空間−空間を考えるための方法論的観点

田辺秋守

  1. 「モダニズム」の後の「ポストモダン」
  2. モダニズムの擁護(アドルノ)
  3. モダニズムからアヴァンギャルドへ(ペーター・ビュルガー)
  4. ポストモダンの到来(フレドリック・ジェイムソン)

だめ連

  1. だめ連宣言 神長恒一  PDFで読む
  2. だめ連は何をめざすか 鵜飼哲+小倉虫太郎+神長恒一+ペペ長谷川  PDFで読む
  3. 平日昼間の男たちをめぐって
  4. 高学歴ニート達が世の中を斬る!

者 貞煥

  1. 世界資本主義の危機と代案をめぐる葛藤   緊縮、福祉、占拠という3つの岐路に立って

沈没家族

  1. 保育に人がやってくる 「沈没家族」共同保育の試み
  2. 沈没家族のゆかいな仲間たち

照井日出喜

  1. アヴァンギャルドの「死」──アドルノの美学理論の射程1  PDFで読む
  2. 美的ユートピアの場──アドルノの美学理論の射程2  PDFで読む

外山紀久子

  1. 自律と疎外の構造──モダ二ズム芸術論の再編成へ向けて──  PDFで読む
  2. 「アヴァンギャルドの失敗」をめぐる言説の意味するもの  PDFで読む

トリスタン・ツァラ

  1. いわゆるプリミティヴーアートの発見

永井隆

  1. セザンヌのパリ滞在の意味  PDFで読む

永野潤

  1. 合法性が正当性を虐殺するとき  PDFで読む
  2. 魔法使いの肖像──サルトル『ユダヤ人問題についての考察』についての考察

南後由和

  1. コンスタントのニューバビロンと1960年代の建築界との相互関係  PDFで読む

西村靖敬

  1. 20世紀アヴァンギャルド文学・芸術におけるプリミティヴィズムーブレーズ・サンドラールを中心に  PDFで読む

ハキム・ベイ

  1. T. A. Z. The Temporary Autonomous Zone(一時的自律ゾーン), Ontological Anarchy(存在論的アナーキー), Poetic Terrorism(詩的テロリズム)   epub PDF で読めます

ハンス・アヴィング

  1. なぜアーティストは貧乏なのか?

檜垣立哉

  1. 「差異」の差異──ドゥルーズとデリダ──  PDFで読む

廣田正敏

  1. 19世紀末フランス芸術──セザンヌを中心に──  PDFで読む

フランコ・ベラルディ

  1. 戦士・商人・知者  PDFで読む
  2. ネット文化、ニューメディアと社会的身体  PDFで読む
  3. 今日オートノミーとはなんであるか?  PDFで読む

ペーター・ビュルガー

  1. 市民社会における芸術の自己批判としてのアヴァンギャルド
  2. ベンヤミンの芸術理論
  3. アヴァンギャルドによる芸術の自律性の否定
  4. アヴァンギャルドの芸術作品 1〈作品〉カテゴリーの問題性
  5. アヴァンギャルドの芸術作品 2 新しさ
  6. アヴァンギャルドの芸術作品 5 モンタージュ

マーティン・ジェイ

  1. モダニズムと形式からの後退 マーティン・ジェイ

三浦丈典

  1. シチュアシオニストの活動とその意義  PDFで読む

ミハイル・バフチン

  1. フランソワ・ラブレーの作品と中世ルネッサンスの民衆文化 序論―問題の設定 その1
  2. フランソワ・ラブレーの作品と中世ルネッサンスの民衆文化 序論―問題の設定 その2

室井尚

  1. 「美学」の喪失
  2. ワールドアートと美学── <芸術>の多元的状況をめぐって

毛利嘉孝

  1. サイバーシティのロボット Robots in the Cybercity  PDFで読む

森雅彦

  1. 近代芸術(モダン・アート)という「歴史=物語」── モダニズム再考──  PDFで読む

八束はじめ

  1. 「空間」を(とりわけ社会の中で)考えようとする者たちへ

山口昌男

  1. 詩的言語と周縁的現実

山中哲夫

  1. マネの新しさ  PDFで読む

山梨俊夫

  1. モダ二ズム絵画の論理

横山奈那

  1. 両義性の実存的絵画論──前期メルロ=ポンティにおける 「セザンヌ」 の意味──  PDFで読む

吉田裕

  1. 2つのマネ論──バタイユとフーコー  PDFで読む

ロザリン・ドイッチ

  1. 民主主義の空隙(比嘉徹徳=訳)”THE THRESHOLE OF DEMOCRACY”  PDFで読む

ロジェ・カイヨワ

  1. ディオニュソスの美徳

亘明志

  1. スペクタクルの支配とメディア文化 The Domination of the Spectacle and the Media-Culture  PDFで読む

和田康

  1. 瞬間と現象

動画

  1. 高学歴ニート達が世の中を斬る!
  2. デモから振り返る2011年  松本哉さん×イルコモンズさん

ロシア・フォルマリズム 桑野隆

 
 
 
 今世紀の文学理論が変化しはじめた年を特定するとすれば、それを1917年としても、あながち的はずれではあるまい。若きロシア・フォルマリスト、ヴィクトル・シクロフスキイが、先駆的論文「手法としての芸術」を発表したのが、この年である──T・イーグルトンはその『文学とは何か』(1983年)を、このように切りだしている(1)。
 「文学のみに固有の要素とは何か」「文学研究なる学を他の諸学と分かつものは何か」──こういった根源的な問いを発したという意味で、たしかにロシア・フォルマリズムは今日の「文学理論」の原点であった。シクロフスキイと並ぶ代表的フォルマリストのヤコブソンは『最新ロシア詩』(1922年)において、実生活、心理、政治、哲学等をごたまぜにしてきたそれまでの文学史家を批判し、「文学に関する学問が対象とするのは文学ではなく、文学性、すなわち、ある作品をして文学作品たらしめるものなのだ。……文学に関する学問が真の学問たらんと欲するなら、〈手法(プリヨーム)〉を自分の唯一の〈主人公〉と認めねばならない」と主張している(2)。このように、「文学」ではなくて「文学性」を対象とすべきであると考えるヤコブソンからすれば、それまでの文学研究は「雑談( causerie )」でしかなかった。こういった物言いに端的に示されているように、フォルマリストたちはそれまでの支配的な知的潮流のすべてにたいして「否」を突きつけていた。この激しさは、文学・芸術運動ならいざ知らず、「科学としての文学研究の自律・自立」をめざす運動にしては、きわめて異例のものといえよう。
 とはいえかれらは、すべての学問との関係を断ち切ったわけではない。言語学だけは例外であった。F・ジェイムスンが『言語の牢獄』(1972年)で論じているように、ロシア・フォルマリズムも、構造主義と同様、「言語モデルの優越性」を特徴としていた。あるいはイーグルトンの言葉を借りるならば、ロシア・フォルマリズムは「基本的には言語学を文学研究に援用したもの」であり、「その際、依拠した言語学……言語の構造の方に関心を寄せるものだったので、フォルマリストたちもこれにならって......文学の形式面を、研究課題の中心にすえた(3)」。この点に関しては、すでに当時エイヘンバウムが「〈形式的方法〉の理論」(1925年)において、つぎのように総括している。
 
「この特殊性確定という原則を、思弁的な美学に頼ることなく実現し強化するためには、存在する無限に多様な系列のなかから、文学的系列と接しながらも機能の点では異なる系列を選びだして、文学的系列を他の一連の事実と対照する必要があった。そのような方法論的手法となったのが、オポヤズの初期の論集において論究され(ヤクビンスキイの諸論文)、詩学の根本問題に取り組むフォルマリストたちの活動の出発点となった、、詩的言語と〈日常〉言語の対照にほかならなかった。たとえば、文学研究者ならば文化史や社会史、心理学や美学その他に定位するのがふつうであるところを、フォルマリストは、研究材料においては詩学接触してはいるが、それを取り扱う際の目標と課題を異にする学問たる言語学への定位を特徴としていた。一方、言語学者のほうでも、実用言語と対照されるときに明らかになる詩的言語の事実が、言語的事象一般として、純粋に言語学的問題の範囲内で考察されうる以上は、形式的方法に関心を抱いていた。(4)」
 
 このように、文学研究の自律・自立をめざしたロシア・フォルマリズムは、とりわけ初期には(言語の構造に関心を寄せる)言語学と連帯し、「詩的言語」を旗印としていた。構造主義との連続性が云々されるゆえんでもある。だがそれと同時に、ロシア・フォルマリズムにはもうひとつ注目すべき特徴があった。それは、「異化(オストラネニエ)」の重視である。前記のようにイーグルトンが20世紀の文学理論の出発点としてあげている 「手法としての芸術」において、シクロフスキイはつぎのように述べている。
 
「生の感覚を取りもどし、事物を感じるためにこそ、石を石らしくせんがためにこそ、芸術と呼ばれるものが存在しているのである。芸術の目的は、再認=それと認めることのレベルではなく、直視= 見ることのレベルで事物を感じとらせることにある。そして、芸術の手法とは、事物を〈異化〉する手法であり、形式を難解にして知覚をより困難にし、より長びかせる手法なのである。というのも、芸術にあっては知覚のプロセスそのものが目的であり、そこで、このプロセスを長びかせねばならないからである。芸術は事物の成りたちを体験する方法であり、すでに出来上がってしまったものは芸術においては重要でないのである。(5)」
 
 ここからもすでにうかがわれるように、シクロフスキイは文学的「手法」を通しての知覚の刷新をなによりも重視していた。H・マルクーゼがロシア・フォルマリズムについて述べている言葉を借りるならば、人と人の関係や人と物の関係を根本的に変えるべき「新しい感性」の「創造」を目標としたということになろうか(6)。
 「文学研究の自律・自立」と「異化」──これらの両立は果たして可能か。いや、そもそも前者の課題だけでもすでに相当に困難ではなかったのか。にもかかわらず、フォルマリストたちは少なくともフォルマリストたちの一部は──「詩的言語」の名のもとにこの未知の課題を果たそうとしていた。結果的には、知られるように、それはまさに「未完のプロジェクト」に終わった。「未完」に終わった理由が「一個の科学としての」文学研究の自律・自立をめざしたロシア・フォルマリズムの理論的成果の「科学性」の限界によるものか、〈異化〉概念そのものの矛盾のせいか、あるいはまた政治との軋轢ゆえの「悲劇」によるものか、はたまた別の理由によるものかは見解が分かれるにせよ、「未完」に終わった意欲的「プロジェクト」であったことだけはまちがいない。
 ただし、この「未完」をどこまで意識していたかは、個々のフォルマリストで異なっていたこともたしかである。たとえばヤコブソンのように、ロシア・フォルマリズムからプラハ構造主義へとみずからが辿っていった場合には、当然のことながら、前者を継承かつ発展させたものとしての後者という連続意識が強かろう。そのことは、ヤコブソンが「フォルマリズムは構造主義の小児病」と述べていることからもうかがわれる(7)。またそれは、 ロシア・フォルマリズムに言及しているほとんどの文献がとっている立場でもある。たとえばブレークマンの 『構造主義』(英語版 1974年)では、「モスクワとサンクト・ペテルブルグ、プラハ、パリ」が「構造主義的思考の発達ルートにそった3つの駅」とされている。つまり「構造主義的思考のルーツはロシア・フォルマリズムに見いだされるべきである」というわけである(8)。ロシア・フォルマリズム再評価に先鞭をつけたエールリヒの 『ロシア・フォルマリズム』(初版1955年)も、この点は変わらない。またそれだけでなく、そもそもロシア・ フォルマリズムが再評価される大きなきっかけが、欧米とりわけフランスを中心に起こった1960年代からの 構造主義記号論ブームであったことも、周知のとおりである。先駆としてのロシア・フォルマリズムがにわかに注目を集めた。むろん、欧米と時をほぼおなじくして当の旧ソ連でも展開されていたモスクワ・タルトゥ学派の構造主義記号論も、当時は批判を避けようとしてフォルマリズムとの親縁関係を認めたがらなかったものの、 いまでは、フォルマリズム、とりわけトゥイニャーノフに高い評価をあたえている。 
 そういったなかでひとつ注目されるのは、ほかでもない、フォルマリズム運動の重鎮のひとりであったシクロフスキイが、晩年には、構造主義にとくにモスクワ・タルトゥ学派に否定的な見解を述べていたことである。「フォルマリズム的方法にくらべて構造主義者たちは新しいものを発明していない。かれらは芸術的構成のダイナミズムを無視して静的に理解している。かれらは非歴史的である。かれらは人工のまったくひどい言語で書いている。言語学的構造を芸術に全面的に移す一方で芸術理論を詩にたいしてのみきずきあげるようなことは(このほうが簡単だが、正しくない)すべきでない」といった調子であった(9)。これが構造主義に対する的を射た批判といえるかどうかはさておき、このようなシクロフスキイの晩年の姿勢は、フォルマリズム運動のもうひとりの重鎮ヤコブソンとの絶交を招くまでに至っている。思うに、この悲劇もまた、私的関係云々というよりもフォルマリズムの「未完のプロジェクト」が関係していたと見るべきであろう。
 
 
 
 ところで、「ロシア・フォルマリズム」が何を指すかは厳密に意見の一致を見ているわけではないが、ここでは、1915年に設立されたモスクワ言語学サークルと、1916年にペテルブルグに設立されたオポヤズ(詩的言語研究会)を中心にして、20年代末頃まで展開された詩学運動を指すことにしておく。前者の主なメンバーは言語学者ヤコブソンとヴィノクール、民俗学者ボガトゥイリョフ、後者の主なメンバーは文学研究者のシクロフスキイ、エイヘンバウム、トゥイニャーノフ、トマシェフスキイと、「ペテルブルグ学派あるいはボードアン学派」の言語学者のヤクビンスキイ、ポリヴァノフであった。ロシア・フォルマリズムをさらに広く解して、ジルムンスキイやプロップをふくめる者たちも当時からいる。さらにはバフチンまでもフォルマリストとみなす見方すらある。だが少なくともモスクワ言語学サークルやオポヤズのメンバーの大部分は、これらの者たちを同志とは見ていなかった。ちなみに、このいわゆるフォルマリストたちは、みずからがフォルマリストと名乗ったわけではない。敵対者たちが貼りつけたレッテルであって、一時期はこれに反論し、みずからの理論は「形態論的」であるとか(シクロフスキイ)、自分たちは文学の「特殊性鑑定士(スペツィフィカートル)」とでも呼ばれるほうがまだふさわしいとしていた(エイヘンバウム)。
 また、P・スタイナーの『ロシア・フォルマリズム』(1984年)でも詳述されているように、ロシア・フォルマリズムは、たとえばのちのプラハ言語学サークルなどとくらべた場合、組織的にも理論的にも統一性に乏しい。バフチンまでをもフォルマリストにふくめるような見当はずれが起こるのも、こういった事情と無関係ではない。 また、モスクワ言語学サークルとオポヤズは互いに活発に交流していた。ただし、両者のあいだには違いも見られた。たとえばヤコブソンとボガトゥイリョフは「戦争と革命の時代のロシアのスラヴ・フィロロジー」(1923年)で、「モスクワ言語学サークルは、詩とは美的機能から見た言語であるという命題に立脚しているのにたいして、ペトログラードの者たちは、詩的モチーフはかならずしも言語的素材の展開とはかぎらない、と主張している。さらには、前者は、芸術的形式の発達史を社会学的に根拠づける必要があることを証明しようとしているのにたいして、後者は、この歴史が完全に自律的なものであることを主張している」と述べている(10)。これはモスクワ言語学サークルから見た1923年時点での総括であるとはいえ、注目すべき指摘ではある。
 前半部分は、のちのヤコブソンの論文「文法の詩と詩の文法」(1960年)などに典型的に示されているように、 モスクワ言語学サークルが文学とりわけ詩をあくまでも言語の機能としてとらえようとしていたことを示している。このことは、ヤコブソンが「ドミナント」(1935年)において、「フォルマリストの初期の研究は......、1文学作品の音の面の分析 2詩学の枠内における意味に関する問題 3音と意味を不可分な統一体として総合すること」の三段階に分けることができるとか(11)、あるいはまた「詩学に向けて」(1965年)において、もっぱら言語学にとっての意義をめぐってロシア・フォルマリズムを回想している点などにも如実に示されている。また後半部分は、初期オポヤズの極端さに不快感を示したものととれなくもない。コムフト(共産主義的未来主義者)との論争で吐いたシクロフスキイの言辞──「芸術はつねに生活から自由であったのであり、芸術の色には都市の砦を飾る旗の色など一度も反映されたことはない(12)」 に眉をひそめていたヤコブソンは、約40年後の「詩学に向けて」でも改めてこれを批判している。ちなみに、エールリヒの『ロシア・フォルマリズム』をはじめ欧米圏のロシア・フォルマリズム研究は、このヤコブソン経由の情報に依拠し過ぎているきらいがあり、その結果、モスクワ言語学サークル、それももっぱらヤコブソンを優先するがゆえの偏りも生じている(ジルムンスキイから シクロフスキイに宛てた1970年9月6日付けの手紙には、この点に関連した不満が見られる)(13)
 ともあれ、モスクワ言語学サークルが言語学から最後まで離れずにいたのに対して、オポヤズでは言語学との関係をめぐって意見が分かれるようになった背景には、オポヤズ言語学者以外にシクロフスキイ、トゥイニャーノフ、エイヘンバウム、トマシェフスキイ等のすぐれた文学研究者を擁していたこともあったろう。さらにはまた、そのおなじオポヤズのメンバーといっても、シクロフスキイとトゥイニャーノフはひとくくりにしては論じがたい。「文学作品とは純粋な形式である。それはモノでも素材でもなく、素材のつくりだす関係である。......作品の規模、作品の分母と分子の算術的値はどうでもよい。重要なのはそれらの関係である。こっけいな作品、悲劇的な作品、世界的な作品、室内的な作品、それらはたがいに対等であり、世界と世界を対置しようが猫と石を対置しようが、なんら変わりはない(14)」とのシクロフスキイの過激な物言いはいうまでもなく、「文学作品の(魂もふくむ)内容は、作品の文体的手法の総計と等価である(15)」との見解も、トゥイニャーノフには受け入れがたかった。この両者の相違に関してはE・トムソン(16)、J・シュトリーター(17)、前記のスタイナーなどが論じているが、フォルマリズムが宿している多様性自体はすでに当時より指摘されており、たとえばバフチンはメドヴェジェフ名義でだした『文芸学の形式的方法』(1928年)において、「フォルマリストの数だけフォルマリズムが存在している」としつつも条件付きで4グループに分類していた(18)。また、「文学的事実について」(1924年)以降のトゥイニャーノフは少し別な扱いが必要であることも認めていた。
 しかし、以上のような多様性にもかかわらず、外側、とりわけ批判側から見た場合、ロシア・フォルマリズムにはある種の統一性があったことも事実であり、また内側からも一定部分には独自の連帯感が最後まで保たれていたこともやはり事実である。たとえばフォルマリストに対する風当りがいよいよ強まってきた1928年も暮れに、シクロフスキイはベルリンのトゥイニャーノフに宛てて、「ロマーン・ヤコブソンの手紙を受けとった。 とてもすばらしい手紙だ。ロマーンにいわせれば、いま現に生じているのはフォルマリズムの危機ではなくフォルマリストの危機だ、ということだ。......ともかく一緒にいて一緒に活動することが先決だ」(11月27日)、「きみが帰ってき次第、われわれはオポヤズ、あるいは新しい名称の会に結集しよう。会のメンバーは僕、君、 ボリス〔エイヘンバウム〕、ロマーン・ヤコブソン、ヤクビンスキイ、セルゲイ・ベルンシテイン、ポリヴァノフ......。トマシェフスキイや、いまはまだ呼びかけていない若い世代もいいだろう。......われわれの集団的知性を復活させようではないか」(12月5日)と書き送っている(19)。
 以下で取りあげるのも、個々人間の差異よりもむしろこの「集団的知性」の特徴と問題点が中心となろう。
 
 
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 さてそこで改めて、ロシア・フォルマリズムの特徴であるが、エイヘンバウムは前記の「〈形式的方法〉の理論」において、「われわれを特徴づけるものがあるとすれば......文学的素材の固有の特性にもとづいて、自立した文芸学を創設しようとする志向のみである」と述べている(20)。こういった「固有の特性」の確定にあたって「方 法論的手法となったのが、オポヤズの初期の論集において論究され(ヤクビンスキイの諸論文)、詩学の根本問題に取り組むフォルマリストたちの活動の出発点となった、詩的言語と(日常)言語の対照にほかならなかった」。詩的言語と日常言語(あるいは実用言語)とのこの対置は、オポヤズだけでなくモスクワ言語学サークルにも見られた。「ヤクビンスキイの諸論文」の数年後には、ソシュールの影響が看取されるヤコブソンの『最新ロシア詩』がでている。ただ、ヤクビンスキイが「詩の言語の音について」(1916年)を公にした時点では、ソシュールはまだロシアでは知られていなかったし、カルツェフスキイがモスクワ言語学サークルにソシュール理論を伝えた1917年以降もしばらくは、ソシュールの影響はペテルブルグ学派には見られない。これに対してモスクワ言語学サークルは、ソシュールによるラングとパロール、共時態と通時態それぞれの区別をかなり早くから活かしていた。たしかに、ロシア・フォルマリズムの展開した理論とソシュールとの共通性は、ジェイムソンも鮮やかに説いているように、歴然としているわけだが、そのことと影響関係とはまた別問題であり、ロシア・フォルマリズムの詩的言語論の出発点はソシュールの影響を受けてはいない。ロシアならずともすでに語られてはいた(たとえばマラルメ)詩的言語と散文言語、あるいは詩的言語と日常言語の区別を、言語学的に論じた最初の文章は、ペテルブルグ学派のヤクビンスキイが著した「詩の言語の音について」であった。
 
「言語現象は、話し手がみずからの言語的素材を利用するそれぞれの場合の目的の観点から分析されねばならない。もし話し手が言語的素材を純粋に実用的な交流目的のもとにもちいているならば、われわれは実用言語の体系を扱っていることになり、そこでは言語的表象(音、形態論的部分、その他)は自立した価値をもっておらず、交流手段であるにすぎない。だが、実用的目的が後方にしりぞき、言語的結合がそれ自体で価値をもっているような別の言語体系もありうる(また現に存在する)。......この小論ではわたしは、詩人が詩をつくるさいに取り扱う言語体系の心理音声学上の特性を指摘してみたい。わたしはこの体系を条件づきで詩的言語と名付けることにする。(21)」 
 
 このように実用言語とは別に「詩的言語」というもうひとつの体系の存在をヤクビンスキイが主張した背景には、師ボードアンの強調していた、言語における無意識的なるものと意識的なるものの区別もあったものと思われる。ヤクビンスキイは、「実用言語では話し手の関心は音に集中していない」のに対して、「詩的言語における音は意識の明晰な場に浮かびあがり、関心はそれらの音に集中される」ことをさまざまに実証しようとしており、 別論文では、流音の連続の有無を詩的言語と実用言語の違いに関連づけてもいる。これを受けてヤコブソンも 『最新ロシア詩』において基本的に同様のことを強調しているが、ただし、詩とは「表現そのものを志向する発話にほかならない」というように音の面以外にも広げるとともに、「いわば内在的法則に支配されている」詩的言語と「情緒がみずからの法則を言語素材に押しつける」情動言語をさらに区別する必要性を説いている(22)。ここにはすでに「詩学言語学」(1960年)で説かれた有名な6機能モデルの萌芽が認められる。
 そして、このヤコブソンの論文が未来派詩人フレーブニコフの詩を言語学詩学的に詳細に分析したものであるのに似て、ヤクビンスキイもまた未来派のザーウミ(超意味言語)に少なからず依拠していた。一般に初期フォルマリズムは、未来派の詩的実験に対する理論的裏づけの役割も果たしていた。トロツキイの『文学と革命』(1923年)などは、未来派とフォルマリズムをほとんど同一のものとして扱っている。実質的にはロシア・フォルマリズムの序章ともいえるシクロフスキイの小冊子『言葉の復活』(1914年)が、公刊準備の段階で未来派詩人と言語学者の協力を得ていたこと、また公刊をきっかけにヤクビンスキイらとの会合がはじまったことなども、当時の雰囲気を物語るものといえよう。もっとも、『言葉の復活』の時点では、言語だけでなく「世界」の自動化が問題になっていた。「今日......事物は死に絶え、僕らは世界に対する感受性を失った。......ただ新しい芸術形式の創造だけが、世界に対する人々の感受性を回復させ事物を復活させて、ペシミズムにとどめを刺しうるのだ」とシクロフスキイは宣している(23)。このように、「新しい芸術形式の創造」によって「世界に対する人々の感受性を回復させ」、「事物を復活させる」ことがめざされていた。そのきっかけがまさに「詩的言語」であったわけである。またこの時点では、「科学としての文学研究」の面は云々されておらず、むしろ文学・芸術運動的側面が目を惹く。「イメージなくして芸術、ことに詩は存在しない」というポテブニャーの見解を批判して、「詩的イメージは、詩的言語におけるほかの諸手段と同等の使命を担っており、直截な対句法や否定の対句法(パラレリズム)と同等であり、直喩、反復、対称法(シンメトリー)、誇張法と同等であり、文彩(あや)と呼ばれているもの全般と同等であり、対象=事物......に対する感覚を増強させるこれら一切の手段と同等なのである」と述べるのは、数年後の「手法としての芸術」 においてである(24)。この間のシクロフスキイの変化には、言語学者との出会いが影響している可能性が大きい。 「このようにして、ロシア・フォルマリズムの詩的言語論は、未来派をはじめとする当時のロシア・アヴァンギャルド芸術運動と、ボードアン──そして後にはソシュール──の影響を受けた新しい言語学の動きとの絡まり合いのなかで、できあがっていった。
 具体的な成果としては、テクストの内的構造への着目ということからしてある程度予測されるように、散文面よりも韻文面での成果が目だっている。韻律をはじめとして、リズムとシンタクスの関係、イントネーションとメロディカの関係、音反復の特徴、詩と朗読の関係、その他の面で多くの成果がもたらされた。L・マテイカは 「形式的方法と言語学」(1978年)において、これらの一連の成果をボードアン学派の音素概念と関係づけている(25)。
 ただし、フォルマリストのいう「詩的言語」は、「詩の言語」とおなじではないし、ましてやそれにかぎられるものでもない。エイヘンバウムの「ゴーゴリの『外套』はいかにつくられているか」(1919年)では、語り(スカース)を中心に語り手の叙述態度にもとづく構造の問題が提起され、作品の主題ではなく構成が分析されているし、シクロフスキイの『散文の理論』(1925年)に収められている一連の論文では、散文も詩と同一ないし類似の構成原理をもち、反復や対句法の手法を使って、対照と類似の複雑な型を生みだしていることが解き明かされている。フォルマリストによれば、心理的要因や社会的要因はたんなる「動機づけ」にすぎない。登場人物は題材構成(プロット)に従属しており、哲学的問題も「引き延ばしの手法」のひとつでしかない。このように、題材構成(シュジェート)と筋(ファブラ)を区別し、前者のみが厳密に文学的なものであり、後者は作者の手による組織化を待っている生の素材にほかならないとしていた。こういった分析方法は、当然のことながら、構造がむきだしになっている芸術にもっともふさわしく、長編小説でもスターンの『トリストラム・シャンディ』のような格好の素材はあったものの、それよりもコナン・ドイル推理小説などにいっそう効果を発揮することになる。フォルマリストにふくめるか否かはさておき、プロップの『昔話の形態学』(1928年)で展開されている物語の構造分析そして類型学にも、フォルマリスト的アプローチが鮮明である。
 こういったアプローチに関してバフチンは、フォルマリストは散文の分析に取り組むにあたり「詩的言語の特性とその研究方法をそのままもちこんだ」と批判している(26)。もっとも、バフチンの指摘はフォルマリストの全員にあてはまるものではなく、トイニャーノフはすでに『詩のことばの問題』(1924年)の序文において、詩の研究と詩的言語の研究の関係を問題にし、「つい最近提起されたばかりの〈詩的言語〉なる概念は現在危機に瀕しているが、その危機が、心理言語学を基礎とするこの概念の容量と内容の広大さ、曖昧さによって引き起こされたことはまちがいない」と断言していた(27)。このように、ロシア・フォルマリズムの初期の立場が再検討されはじめたとき、この「詩的言語」の是非、さらには言語学との連帯の是非がオポヤズの内部で問題になってきた。この点ではエイヘンバウムもすでに『ロシア抒情詩のメロディカ』(1922年)において、言語学との連帯が、かつての社会学や心理学による支配よりもよしとしつつも、問題なきにしもあらずとしている。
 
「隣接分野との接近がほんとうに実り多いものとなりうるのは、それが新たな服従につながらない場合にかぎられる。言語学と同盟をむすんでも、詩学はみずからの独立を守らねばならない。言語学にとっては、詩的作品は音声学、シンタクス、意味論等の問題を研究するうえで興味ある素材を提供してくれる〈言語現象〉 にほかならない。詩的言語を言語学的に考察することにより、ふつうの、〈実用〉言語ではまれにしか見られない新しい現象でもって言語一般に関する学は豊かになる。......しかし言語学的方法がどれほど実り豊かに見えようと、詩の理論家はまったく別の仕方で問題を提起せねばならない。......言語学は自然科学に属し、詩学は精神科学に属する。......詩学は目的論的な原理の基礎の上にきずかれ、それゆえに手法という概念に立脚する。言語学のほうは、すべての自然科学とおなじく因果律のカテゴリーをとりあつかい、そのため現象そのものという概念に立脚する。(28)」 
 
 エイヘンバウムのこの懸念にも一理はあったろう。たしかに、モスクワ言語学サークルのような立場に立つならば、後日ヤコブソンが回想しているように、詩的言語への着目は「それまで伝統的な言語学が見向きもしなかったこの領域を通して、青年文法学派の輸から抜け出すことができたからであり、さらにまた、全体と部分とか、目的と手段の関係、要するに、言語の構造的な法則や創造的な面が、日常言語よりも詩的言語において、いっそ う研究者の視野に入りやすかったからである」ということで、説明がついたであろう(29)。だが、オポヤズのなかでも比較的堅実に文学研究の自律・自立を図っていたエイヘンバウムやトゥイニャーノフにすれば、言語学との過剰な連帯がもたらすマイナス点にも注意を怠るわけにはいかなかったものと思われる。もっとも、ここでヤコブソンの回想とくらべたときますます画然としてくるように、エイヘンバウムの念頭においている言語学は19世紀のものであった。「言語学は自然科学に属し」以下は、フォルマリストの多くが共有していたボードアン-ソシュール的な言語学から根本的にかけ離れている。そのためもあってか、エイヘンバウムらの批判は「詩的言語」そのものの問題点をえぐりだすまでに至らなかった。詩的言語の問題点を根本的に衝いたのはバフチンである。バフチンは、フォルマリストのいう詩的言語には生産力、創造力が欠けていると批判した。
 
「実際、フォルマリストの理論によれば、詩的言語は、他の言語体系のうちにすでにつくられているものを〈異化〉して、自動化した状態から引き出すだけである。詩的言語そのものは新たな構造をつくりださない。それは、すでにつくられているが感知されず自動化している構造を、感知させるだけである。詩的言語は、 実生活の言語がその目的と志向にしたがってなんらかの新たな言語構造をつくりだし、それをなじみのものにし、自動化するまで、待たねばならない。そのときはじめて、詩的言語が舞台に登場し、この構造を自動化した状態からおごそかに引き出すのである。このような寄食者的なあり方を詩的言語はフォルマリストの理論によって運命づけられるのである。(30)」 
 
 バフチンのこのような批判でさらに注目すべきは、フォルマリストのような詩的言語偏重がでてくる背景にはそもそも実用言語、あるいは言語なるものに対する見方にすでに問題があるのだという指摘である。ここにくると、問題は言語学そのものへの批判にも及ぶことになる。「言語学......実生活の言語についても、その多様な構成の特質を完全に無視している(31)。......言語学は詩的発話の形式を無視するのとおなじくらいに、実生活の発話のあらゆる形式をまったく無視している。」そのため、この言語学に依拠するフォルマリストが念頭においている発話も、せいぜいのところ、「言語的交通の形式がすっかりできあがっていて固定している場合、しかも、伝達される内容も出来合いのもので、もっぱら既成の交通の枠内でたがいにそれを伝え合う場合」にしかあてはまらなくなってしまっている、というのである(32)。この指摘は、いまなお多くの者が援用しているヤコブソンの6機能モデルの批判ともなりえよう。バフチンによれば、「現実には、日常の交通はたえず生成しているのである(33)」。
 フォルマリストの言語観に対するこのようなバフチンの見解は、日常言語の多様性、ダイナミズムを軽視する一方で詩的言語の豊かさのみをうたいあげる傾向への重要な批判ともなっている。
 
 
 
 以上のように、フォルマリストの詩的言語論には問題もあった。にもかかわらず、これを基礎にして文学作品の構造分析、「内在的法則の解明」は格段に飛躍をとげた。冒頭であげたイーグルトンの見解もけっして例外的なものではなく、今日ではラマーン・セルデン著『現代文学理論』(1985年)のような入門書にも、「ロシア・フォルマリズム」は「マルクス主義」「構造主義」「ポスト構造主義」「読者中心の理論」「フェミニズム批評」と 並んで1章が設けられるまでに至っている。こと文学理論に関するかぎり、ロシア・フォルマリズムに対する共通理解がほぼできているといえよう。だが曖昧な点も依然として残ってはいる。たとえば〈異化〉がそうである。
 〈異化〉という概念自体は、キューゲルも指摘するように、フランスやロシアの象徴主義の詩にも認められるし(34)、あるいはまたブレークマンに従うならば、「ロシアの知的生活の文学的伝統のなかに深く根づいており」、「ロマン主義、象徴主義、未来主義、フォルマリズム、マルクス主義といったような相異なる運動が、この概念によってむすばれている」(35)。またこの言葉は、ロシア・フォルマリズムが再評価されるまでは、シクロフスキイというよりも、むしろブレヒトの名とむすびついて想起されることが多かった。〈異化〉を文学的種差とむすびつけていたシクロフスキイとくらべると、ブレヒトのいう〈異化 Verfremdung〉は、「驚きや好奇心を生み出す」という点で共通しつつも、認識行為までもふくんでいる点、さらには「異化は歴史化」に通じるという点、社会性、政治性などにおいて異なっている。にもかかわらず、ブレヒトが自己の演劇観を〈異化〉でもって代表させるに至るにあたっては、シクロフスキイの唱えていた〈異化〉をトレチャコフを介して知ったことが少なからずあずかっていたようである。 
 ともあれ、このへ異化をめぐっては、まず第一に、これが芸術の普遍的原理のひとつであるか否かという問題がある。たとえば、ハンゼン=リョベは『ロシア・フォルマリズム』(1978年)において、〈異化〉原理は「ロシア・アヴァンギャルドのような未だ安定していないタイプの芸術には関係づけられるものの、芸術史上の他の残りの時期すべてにまではあてはまらない──〔ロシア〕アヴァンギャルドの領域や代表的人物のすべてにあてはま るわけでもないくらいである」と述べている(36)。これに対して、たとえば大江健三郎は、『小説の方法』(1978年)や『新しい文学のために』(1988年)において、シクロフスキイの〈異化〉を高く評価するとともに、シクロフスキイがトルストイを例に引いている箇所をもっぱら援用している。むろん、シクロフスキイにとってトルストイが必要であったのは、〈異化〉がひとりアヴァンギャルドだけにあてはまるものではないことを言わんがためであった。また第二に、そもそも、〈異化〉が、当のシクロフスキイはさておき、ロシア・フォルマリズム全体にとってどのような役割を果たしていたのかが、かならずしも鮮明とはいえないという事情がある。さらに第三としては、シクロフスキイのいう〈異化〉概念に矛盾が認められる。すなわち、世界についてのわれわれの知覚の刷新というのは、自己目的性、あるいは芸術の外在的機能の不在とは同列におけないはずであるのに、シクロフスキイは双方の機能を同等に主張している。さきに引いた有名な箇所をもう一度見直してみよう。
 
「生の感覚を取りもどし、事物を感じるためにこそ、石を石らしくせんがためにこそ、芸術と呼ばれるものが存在しているのである。芸術の目的は、再認=それと認めることのレベルではなく、直視=見ることのレベルで事物を感じとらせることにある。そして、芸術の手法とは、事物を〈異化〉する手法であり、形式を難解にして知覚をより困難にし、より長びかせる手法なのである。というのも、芸術にあっては知覚のプロセスそのものが目的であり、そこで、このプロセスを長びかせねばならないからである。芸術は事物の成り立ちを体験する方法であり、すでに出来上がってしまったものは芸術においては重要でないのである。」
 
 トドロフによれば、まんなかあたりの「〈異化〉する手法であり」までが「読者による受容」、「長引かせねばならないからである」までが「自己目的としての言語」、それ以下がまた「読者による受容」となっている(37)。この矛盾はつとにバフチンが『文芸学の形式的方法』で指摘していたところでもある。バフチンは、心理主義を乗り超えたと誇るフォルマリストの強調する「脱自動化、構造の感知性といった理論の基礎にあるものは、ほかでもない、感知する主観的意識なので」あり(38)、作品構造のなかには存しない自動化や感知性に立脚している矛盾をついていた。要するに、シクロフスキイの〈異化〉は、客観的な文学研究の自立ではなく、フォルマリストがもっともきらっていたはずの、一種の受容理論の面を宿していたわけである。ちなみにホルブは『受容理論』(1948年、邦訳『「空白」を読む』)において、「モスクワからパリへ、構造主義の流れがあったとすれば、それに平行して脈々と続いているのが、フォルマリズムから現代ドイツの受容理論に到る観念の歴史である」としている(39)。また バフチンは、フォルマリストとしては理論上否定している倫理的、認識的価値その他の感知性を認めるわけにはいかないがために、結局は「感知性をつくりだすことを唯一の内容とする手法が、感知される」ことになってしまう「袋小路」を衝いていたが(40)、これとは若干異なる角度からジェイムスンも、「オストラネーニエというのは それ自身で自立できる一貫した概念ではなく、変遷期の、自己滅却的な概念だということである。このことは何よりもフォルマリスト批評において明白である。......このことはじつはフォルマリズムだけに言えることではなく、モダニズム一般の理論的装具の多くについて言えることなのである」と指摘している(41)。
 これに対しては、プラハ言語学サークルによる〈アクチュアライゼイション(前景化)〉概念によって異化は「自己滅却」を免れたのではないか、との反論があるかもしれない。だがプラハ言語学サークルの「第1回スラヴィスト会議提出のテーゼ」(1929年)では〈前景化〉は言語の面でのみ論じられていることも見逃せない(のちにこの概念が文化の記号学として人類学その他に貢献したことはまた別問題である)。
 
「詩的言語活動は、記号の自律的な価値を際立たせようとする言語活動と見る理論に基づくならば、コミュニケーションの言語活動では手段としての役割しか果たさない言語システムのあらゆるレベルが、詩的言語活動においては、度合の多少に違いはあっても、自律的な価値を持つことになる。これらの各レベルへとまとめられる表現手段も、それらの相互関係も、コミュニケーションの言語活動では、自動的なもの(それとして意識されないもの)になる傾向を持つが、詩的言語活動では逆に、アクチュアルなもの(前面に現れ、それと意識されるもの)になる傾向を持つ。(42)」 
 
 ここでは、シクロフスキイの〈異化〉がかかえていた二面性のうち、自己目的面がまず重視されている。しかも、〈異化〉のような否定一辺倒ではなく、自動化と前景化の関係がきわめて動的な関係におかれている。よかれあしかれ、〈異化〉のはらんでいた破壊的性格は拭い去られたといえる。
 
 
 
 ところで、フォルマリストたちは──初期はさておき──、よくいわれるほどには共時的アプローチに限定していたわけではなかった。内的構造を優先する姿勢はおのずと共時態を優先する結果になったことはたしかであるものの、文学史にも独自の貢献をしている。そしてそこでも、〈異化〉を基本原理とした文学史観が目を惹く。 この点に関連してジェイムスンは、「オストラネーニェの概念は、新しい文学史観を可能にするという意味で......理論的利点をもつ。それは観念論的歴史に特徴的な、深い伝統の流れなどといった文学史観ではなく、突然の断絶、過去との断絶のくりかえしとしての歴史である。フォルマリストは、この不断の変化、この永続の芸術的革命というものを、芸術形式そのものに本質的に内在するとしている」と述べている(43)。こういった傾向は、 ロシア・フォルマリズムの初期においてきわだっている。たとえばシクロフスキイが『ローザノフ』(1922年)において、「文学史は、断続的な曲折した線にそって進む。......文学上の流派の交替に際し、父から息子へではなく、伯父から男に遺産の相続がおこなわれるという事実こそ問題なのである。......どの新しい文学流派をとってみても、それは革命であり、なにやら新しい階級の台頭に似ている」と述べているのに対し(44)、トゥイニャーノフも「ドストエフスキイゴーゴリ」(1921年)において、「〈文学的伝統〉とか〈継承性〉というとき、人々は、 ある文学系譜の若い世代の代表者と年長の代表者をむすびつける一本のまっすぐな線を思い浮かべがちである。 しかし実際には、ことははるかに複雑である。一本のまっすぐな線の一続きなどというものは存在せず、あるのはむしろ、ある一点からの出発や反発、つまり闘争なのである」と述べていた(45)。ちなみにカヴェーリンの回想によれば、1920年代のロシアでは、シクロフスキイやトゥイニャーノフの弟子筋のあいだで(といっても師たちも30歳前後だが)、「父から息子ではなく、伯父から甥へ」という言葉が流行っていたらしい(46)。文学史を「平和的継承」ではなく、〈革命〉とか〈闘争〉とみなす生新な見方が、時代的雰囲気もあいまって、若者たちを惹きつけたのであろう。
 
 こういった文学史観は、旧来の文学史にはおよそ書かれていそうにない文学的類縁、相互関係を見いだしただけでなく、とりわけパロディ論などにそのダイナミズムが存分に効果を発揮した。パロディとは、シクロフスキイによれば、〈自動化〉した手法を裸出させたり、習慣化した文学的規範を転位・破壊することによって、自動化した文学形式を〈異化〉することであり、その目的は文学形式に対する新しい知覚を甦えらせることにあった。このように「破壊に強調をおいた」シクロフスキイに対して、トゥイニャーノフの場合は「新しい構成・構築を中心においていた。......トゥイニャーノフにとっては、パロディ的テクストの文学史的な分析と、そこから引き出してくる〈パロディ論〉は、文学の進化の理論の出発点となっていた」(47)。こういった相違はあれ、フォルマリストの文学史は、一方ではパロディ等による高位のジャンルの格下げ、他方では二流の文学、大衆文学、フォークロアその他への注目によって(「下級ジャンルの正典化」シクロフスキイ)、「将軍たちの歴史」(ブリーク)をうち破り、伝統的な文学史観、ジャンル観にゆさぶりをかけた。
 このような〈異化〉を基本とした文学史観に関してもバフチンは、「文学の歴史的発展に関するフォルマリストの概念は......意識の外にある与件としての作品という理論、それに芸術的知覚についてのかれらの理論にそっくりもとづいている」(48)と指摘する一方、フォルマリストが「個人の有機体の生の枠内で生じる過程を、さまざまな 個人や世代が交替するなかで生じる過程を理解するための図式にしている」点を批判した。
 
「実際、自動化と自動化からの導出つまり感知性は、一個人のうちで接点をもたねばならない。ある構成が自動化している者だけが、それを背景にして、フォルマリズムの形式交替の法則によってそれに取って替わるはずの別の構成を感じとることができるのである。もしも私にとって、旧い系列の作品、たとえばプーシキンが自動化されていないならば、それを背景にして新しい系列の作品たとえばベネジクトフを特別なもの として感じとることはないであろう。......もしもプーシキンがある者にとって自動化しており、別の者がベネジクトフに夢中になっているとしても、時間のなかで交替するこの2つの別個の主体が分けもつ自動化と 感知性のあいだには、いかなる結びつきもありえない。それは、ある者の吐き気と別の者の過度の飽食のあいだになんら結びつきがないのとおなじことである。(50)」
 
 総じて、フォルマリストの文学史観の根底には、コージノフも指摘するように、モダニズムの特徴ともいえる、 「新奇さ」や「同時代性」の最優先視があったといえよう(51)。フォルマリストには「歴史的時間」なるカテゴリーが欠如していたのである。フォルマリストは「永遠の現在」「永遠の同時代」しか知らない。なぜなら、「自動化──感知性」の法則が必要としているのは一個の生涯、一個の世代だからである、とバフチンは批判する。
 もっとも、そのバフチンも、「文学的事実について」(1924年)以降のトゥイニャーノフをほかの者たちとはある程度分けて考えてはいた。実際、シクロフスキイとトゥイニャーノフはことに20年代半ば以降はかなりちがった論を展開している。スタイナーの分類でいうならば、「機械としての文学」のシクロフスキイに対して「体系としての文学」のトゥイニャーノフということになろう。意味深長にシクロフスキイに捧げられているこの「文学的事実について」は、やはり「闘争と交替を原理とする文学の進化」を論じたものであるが、そこでは、「文学とは力動的なことばの構成」であること、文学的事実は日常生活的事実と絶えず動的な関係にあることが強調されている。このようなトゥイニャーノフの方向は、このあとの「文学の進化について」(1927年)でさらに展開されたのち、ヤコブソンとの共同テーゼ「文学研究・言語研究の問題」(1928年)で、理論的にひとまずまとまりを得ている。ちなみに、このテーゼにはラングとパロール、共時態と通時態それぞれの区別にソシュールからの影響が見られるほか、「体系の歴史がまた、体系をなすのである。いまでは純然たる共時性など幻想に過ぎなかった、と判明している(52)」などというように、ボードアンやプラハ言語学サークル的な、ソシュール理論の修正も伴っている。もはやこの段階ではトゥイニャーノフは、「文学史(芸術史)は......固有の構造的法則からなる錯綜した複合体によって、その性格を規定される。これらの法則の解明なくして、文学的系列とその他の歴史的諸系列との相関を、科学的に確立することは不可能である(53)
」とする一方で、「文学(言語)の進化の内在的法則なるものは、不定方程式にすぎず......複数の解の可能性を残す。方向の、少なくとも支配的傾向(ドミナント)の具体的な選択という問題は、文学的系列とその他の歴史的系列との相関の分析によってのみ、決定できる。この相関性(諸体系の体系)はまた、それ自身の研究すべき法則性を有している(54)」とまで述べている。ここには、初期フォルマリズムに特有の閉じられた文学観は見られない。プラハ構造主義への架け橋といわれるゆえんである。 実践面ではフォルマリストたちは、さきにも述べたように(219頁)再結集を計っていたとはいえ、理論的には、ここにおいてフォルマリズムはひとつの段階をしめくくったといえよう。 
 しかしそれと同時にいま一度確認しておくべきは、この締めくくりはあくまでもロシア・フォルマリズムの一面の表現でしかなかったということである。スタイナーも指摘するように、「体系論を唱える形式主義者たちは、少なくとも口先では作者としての主体を尊重する様子をみせたが、知覚する主体のほうは無視したも同然であった。......体系論に依る形式主義にとって、文学研究の唯一の正当な対象は自己調節的な文学の体系だけなのであ る。知覚する主体は、この没個人的な体系の盲腸のように扱われるか、あるいは無視される(55)」。構造主義はこの体系論的方向のみを継承発展させたのであり、それゆえにヤコブソンは「詩学に向けて」で、こう回想したのである。
 

「〈フォルマリスト的〉思考の発見やさらには本質なるものを、事物を脱自動化し意外なものにしてみせる〈異化〉というような、芸術の職業的秘密をめぐるくどくどした陳腐な説明とおなじものと考えるのも、また誤りであろう。(56)」

 

 
「異化」と「文学研究の自律・自立」は、いまもなお両立してはいない。